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#047 妻の名前

知人のメンヘラおじさんが、夜中に号泣していた。優里が歌う『レオ』のPVを観たらしい。“なまえはレオ なまえよんでよ” 歌詞にそうあった。

僕は妻の名前を一度も呼んだことがない。最初に出会った時の関係性は、妻が上司で僕が部下。もちろん、「田畑さん(仮名)」とか「課長」と呼ぶことはあったけれど、それ以上でも以下でもない。

付き合いが始まってからもその関係性は崩れなかったから、下の名前でなんてとても呼べない。知り合ってから22年近く、籍を入れてからも18年近くが経つけれど、今の今まで一度もない。実は携帯電話の電話帳も「田畑さん」のままだ。

もし15mくらい離れていたとして、僕のことに気づいてもらわなければいけなかったとする。たとえば人混みの中、彼女があたりをきょろきょろと見まわして僕を探している場合とか。

そういう状況だと「直子(仮名)」と大きな声で呼ぶことになるけれど、実践する機会がただの一度もなかった。驚くべきことに。あるいは用意周到に避けることができていた。もしもあったとしたら、僕は人混みをかきわけながらなにがなんでも彼女の元にたどり着き、肩をたたくか、「こっちこっち」と小さく声をかけるだろう。

一応、脳内でシミュレーションはしている。どちらかが病に伏せて、いよいよもうどうにもならないと分かった時は、下の名前で呼んであげようと思っている。声が出ない振りをして筆談にしてしまうかもしれないけれど。もっとも、人生はそれほど都合よくいかない。お互いの死に目にあえるなんて、そうそうあるもんじゃない。思いもよらないところで、思いもかけず最後の時を迎えるひとが大半だ。ほとんどがナレ死のようなものだと思う。

少しは気にしているんです。ちょっとは申し訳ないなと思っているんです。そういう気持ちで、今います。もしも明日、思いもよらないことが起こったなら、誰かが妻にこれを伝えてくれたらいいな……なんて、フォロワー1人のnoteに書き記してみたりなんかして。


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