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#332 ガソリン生活

以前、「クルマかバイクにまつわる本について、なんか書いて」というオーダーを受けて書いた原稿です。伊坂幸太郎の『ガソリン生活』(朝日新聞出版)を取り上げたわけですが、あらためて読み返してみると、ネタバレというか、いささか内容に触れ過ぎていてあまりよろしくなかったな、と反省。当時、もしもこれ読んでから本を手に取ったひとがいたなら、ごめんなさい。そう言いながら再掲するのもどうかと思いますが、ここでの読者は5人くらいなので、まぁいいか。

 本書のタイトルはご覧の通りの『ガソリン生活』。そして本に巻かれた帯には「望月家のみんなを乗せて緑デミオが今日も走る!」という見出しが躍っている。どこからどう連想してもハートウォーミングなライトノベルにしか思えないが、これがなかなかハードである。 

 クルマの炎上、幾人かの事故死、イジメや脅し、果ては殺人や死体運びといった事件事故に母ひとり子ども3人の一家、つまり望月家が徐々に巻き込まれていく・・・・・・という、言わばアクションとサスペンスとミステリーのフルコース。特に前半はタイトルのイメージと実際の内容を擦り合わせ、納得するのに時間とページ数を要するかもしれない。

 極めつけは、そうした諸々の騒動が望月家所有の緑色のデミオの目線を通して描かれるというファンタジーまでもが加わるところで、むしろそれこそがこの小説の主軸。人間の言葉を理解し、クルマ同士で会話する緑デミ(クルマ仲間からはそう呼ばれている)こそが、ストーリーテラーなのだ。 そんな『ガソリン生活』の楽しみ方はいくつもある。一篇の小説として単純に読み進めていくのももちろんいいが、著者が張った伏線を少しずつかき集めていくこともそのひとつ。途中、腑に落ちなかったことが物語の後半で徐々に収束していく様は心地よく、「あぁそういうことか!」が決定的になる前に、自分なりにちょっと推理しておくのも楽しい。 

 そしてなにより、クルマたちが感じている喜びや悲しみ、人間の運転や仕草に対する気持ちの吐露こそが本書の醍醐味だ。車輪の多い電車はクルマにとって敬意を払うべき相手であり、踏切に差し掛かる度に胸を高鳴らせていること。逆に2輪しかない自転車やバイクとは意志疎通がまったくできないこと。操作もしていないのに不意にワイパーが動くことがあれば、それはクルマの感情の高ぶりであること。人間に乱暴な運転をされる時、クルマは恐怖を消すために自ら意識を失っていること・・・・・・などなど、クルマ好きを自負する人ほど耳が痛くなり、ハッと気づかされ、愛おしくなるクルマの秘めた思いの数々が全編に渡って散りばめられている。 

 そんな物語のエピローグは望月家の10年後。その読後はきっと誰もがクルマに優しくなり、ひと知れず話かけてみたくなるんじゃないかと思う。

『ahead』2015年9月号より

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