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#292 バイクと風の半世紀

バイクの魅力は風を感じられるところ……というのは、せいぜい100km/hくらいまでのことで、それ以上は徐々に格闘の領域になる。真っ向から立ち向かおうにも限界があり、空気を受け流すことを目的にバイクの空力は進化してきた。その極端なカタチがストリームライナーだ。エビフライにも見えるカウルで車体とライダーを覆い、極限まで前面投影面積を低下させた最高速度専用マシンである。

例えば空冷2気筒エンジンを搭載したトライアンフのストリームライナーは、50年代に悠々と340km/h超を記録。この事実から空力に特化したボディならスピードが劇的に向上することが分かる。

世界GPでもそれに似た造形が一時代を築いている。ジレラやモト・グッツィ、モンディアルなどがこぞって採用したダストビン(ゴミ箱)カウルがそれだ。特に目覚ましい活躍を見せたのがモト・グッツィで、350ccクラスでは単気筒で強力な多気筒勢を退け、500ccクラスでは286km/hという圧巻の最高速(1955年当時)を残している。それに貢献したのが超大型のカウルに他ならず、風洞実験施設を自社で所有していたことも優位に働いた。ただし、面積の大きさが災いして横風に弱く、安全性の観点からほどなくレギュレーションで禁止になった。以降は、常識的なサイズの中で形状が移り変わってきたのである。

不思議なことに、市販車にカウルを付けるというトレンドは、長らく定着しなかった。70年代に入ってからドゥカティ・750SSやBMW・R100RSが登場したことを受け、ようやく緩やかに広がっていったのである。

80年代になると一部で先鋭化が進み、タイヤ以外のパーツを覆い隠すフルカバードボディが流行の兆しを見せた。ビモータ・DB1、ホンダ・CBR750スーパーエアロといったモデルの他、サーキットではエルフeや童夢ブラックバッファローなどが近未来感を放つも、しかし一時的でしかなかった。ライダーの多くは保守的であり、実際その数年後にはネイキッドブームがやってきている。

ここまでは空気抵抗を軽減し、最高速や防風効果を向上させるための取り組みでしかない。空気を避けるための試行錯誤と言ってもいいが、4輪界の進歩とは対称的に2輪界が追求してこなかった分野が、空気を活かす技術だ。そのチカラによって車体に安定性をもたらす、いわゆるダウンフォースのことである。

もちろん、まったく無自覚だったわけではない。MVアグスタやスズキのグランプリマシンには70年代から時折ウイングが見られ、90年代に入るとヤマハも度々試している。2000年代には市販車のカワサキ・ZX-12Rが整流効果を狙ってサイドカウルにフィンを採用した例もあるが、やはり定着しなかった。

なぜならピッチングやロールで車体姿勢が刻々と、しかも大きく変化する2輪の特性上、ウイングの効果が定かではなく、あったしても極めて限定的だったからだ。

そうやって出ては消えていったウイングに再び脚光が集まったのが、10年前のことである。ドゥカティのモトGPマシンが、シーズン中盤からウイングレットを装着し始めたのだ。この時のライダーは「フロントの安定性が向上した」とコメント。多くのチームは懐疑的だったが、当時のマシンは800ccだったにもかかわらず、最高速は350km/hに到達していた。空力デバイスに可能性を見出すのは当然のなりゆきだろう。

もっとも、ドゥカティにとっても発展途上のデバイスだったため、大きさも形状もトライ&エラーが繰り返され、2016年に一度ピークを迎えている。このシーズンのマシンには最終的に4枚のウイングレットが与えられ、先端には小さな整流板が幾重にも配される複雑極まりない形態へと進化。他メーカーも続々とこれに追随したものの、安全面への配慮から厳しい制限が設けられることになったのだ。

ちなみに、ウイングではなく、ウイングレットと呼ばれるようになったのは、単なる翼(wing)ではなく、小さな(let)羽も加わっているからだ。機能のみならずデザイン性が高いこともあり、今では多くのスーパースポーツが採用し始めている。市販車の分野でも積極的なのがドゥカティで、スーパーレッジェーラV4(限定モデル)のウイングレットは、2016年型のモトGPマシンを超えるダウンフォースを発生させている。

このように、空力のイノベーションは、2輪界ではまだ始まったばかりと言っていい。カウルの巨大ウイングレットがダメなら、スイングアームにそれを装着すればいいと考えたのもドゥカティで(メーカーとしての公式見解は空力パーツではなく、タイヤの冷却用と説明している)、レギュレーションとのせめぎ合いの中で、次々に新しいアイデアが投入されている。空気は目には見えない。しかし確実に、2輪のデザインに大きな変革をもたらそうとしている。

(初出:『ahead』2020年9月号/写真:ピアッジオグループジャパン)

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