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#272 クルマのコーナリング

 日々2輪のことを評価し、時々レーシングライダーとして走る。そういう仕事に軸足を置きながら、ごくたまに4輪のことを語ると2輪界の人達から連れ戻そうとされたり、突き放されたりする。

「2輪は乗り手の腕次第だけど4輪は誰でも乗れるからつまらない(だからライダーの方が優れている)」とか「抜きつ抜かれつのバイクレースこそ最高のモータースポーツ(F1なんて退屈なだけ)」とか「4輪? ふーん・・・(オマエも結局安楽な方へ行くのか)」とかいろいろ。

 2輪も4輪も両方好き、という人は結構多いはずなのに、特に操る難しさや楽しさといった話になると俄然2輪愛に燃え、頑なになる人が増える。しかも、それを黙って聞いていると2輪の中でも懐古派の人が勢いづき、「今時のバイクは電子デバイスのおかげで誰が乗っても一緒」とか「モトGPより2スト500時代のライダーの方が凄かった」みたいな流れになって話がどんどんコースアウトしていくのも常である。

 2輪も4輪も、新しくても古くても、そのどれもこれもが難しくて楽しい。そこには少しずつ違いがあるだけなのに、と思う。

 そもそも不安定な成り立ちの車体をいかに安定させるか。その手なずけ感を2輪の醍醐味とするなら、安定しているものを不安定になるギリギリまで追い込んでいく逆のアプローチが4輪のそれだ。とりわけコーナリングにまつわる違いはそこに凝縮されていて、快楽のツボもまた、不安定と安定の狭間にある。

 その快楽は、いずれの場合も一体感と言ってもよく、加速や減速と比べてコーナリングでそれを得られた時の方が満足度が高い。なぜなら加速はエンジン、減速はブレーキへの依存度が高い一方、コーナリングは頭と体を総動員し、サスペンションのストローク量やそのスピード、車体姿勢、トラクション、走行ライン・・・といったあらゆる情報を瞬時に判断、制御しなければならないからだ。

 2輪の場合はそのために全身を前後左右、上下にも動かす必要があり、その意味でかなりフィジカルな操作を要求される。一定以上の身体能力を求められるのはそのせいだが、だからといって4輪がそれに比べて劣る乗り物かと言えばそんなことはない。4輪はシートに体が固定されて動かすことができず、2輪のように体重移動によって重心や荷重ポイントを変化させられない分、アクセルとブレーキの踏み方、ハンドルの回し方だけで車体を適切な状態へ持っていく正確なセンサーと操作を要するからだ。

 それに、2輪はコーナリング時に掛かる遠心力を無意識のうちに受け流してバランスを図っているものの、4輪はまともにそれを受け止めなくてならず、体力もかなり要る。車体のロールにともなって体はシートに押しつけられ、支えきれない分は足で踏ん張り、手は路面からのキックバックにさらされるなど、決して漫然と座っているわけではない。

 運動性を追求した4輪、例えば今回連れ出したロータスのエリーゼスポーツ220のようなライトウェイトスポーツになればなるほど、車体の限界が高くなるため、コーナリングスピードが上がり、タイヤは押しつけられ、体にのしかかる横Gが増量。それに耐えるのは、ちょっとした格闘に近い。

 そんな4輪のコーナリングが快楽に変わるのは、進入時に一発で車体を組み伏せることができた時だ。ハンドルを切った瞬間、車体のハナ先がビュッと反応してロールがスッと止まり、タイヤがビシッと路面を追従する。そうした挙動のひとつひとつが空白なくシンクロし、一瞬で旋回のきっかけを作れた時の一体感は、なだめながら限界を探る2輪の時間感覚とは別の気持ち良さなのだ。そして、それを得るには車重の軽さ、重心の低さ、ロール剛性の高さ、トラクションの強さを持つエリーゼのようなクルマが好ましい。

 車体に身を委ね、ともに快楽を求めながらもそこへ達するための技巧が異なる2輪と4輪のコーナリング。その両方を知る乗り手は、どちらか一方しか知らない乗り手よりも、濃密な時間を深く長く味わうことができるのである。

(初出:『ahead』2017年3月号)

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