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#194 小説が映像になる時

原田マハの作品は、わりと読んでいる。小説の舞台になった場所へ出掛けたり、関連する美術館に絵画を観に行ったりも。どの作品にも希望や再生が感じられ、そこが好きだ。ファンと言ってもいい。バイクやクルマが登場する短編もいくつかあり、その描写に取ってつけたような不自然さはない。ご本人が実際に乗るひとなのか、乗ったことがあるのかどうかは知らないけれど、少なからず、その空気に触れた経験があることは分かる。

昨日、WOWOWで『キネマの神様』の放送があった。原作は原田マハ。志村けんが主演を務めるはずだったが、あのようなことになり、沢田研二で仕切り直された、松竹映画100周年を飾る作品だ。

果たしてどうだったか。原作と映画にはほとんど関連がなかった。タイトルがたまたま共通の、山田洋次監督の思い出だった。『汚れた英雄』の原作と映画の比ではないくらい関連がなかった。

娘「母ぁ。父がなんかお怒りなんですけど」
妻「北川景子がきれいだったからいいじゃん別に」
娘「永野芽郁もかわいかったしね。だからまぁ、父、落ち着いて」
自分「…………(震)」

そんな夜でした。

でも思ったのは、映画やドラマの評価がどっちに転んでも、原作は揺るがないってこと。評価が高ければ、原作あってこそってことになるだろうし、評価が低ければ、やっぱり原作はすごいってことになるから作者にとって損はなし。

将来小説を上梓し、映像化の話がきた時は、脚本に口をはさむことなく、よろこんで承諾しようと決意した次第。



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