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#103 Tのこと

30代前半までとは違い、この15年ほどの間に劇的に増えた出来事は、友人や知人の死だ。同世代に限っても両手では足りず、ちょっと数える気にもならない。

ある時から通夜や葬式の類には行かなくなった。そういう儀式は残った者の気持ちを整理するためにあり、それは自分の中で処理できると判断をした。

深呼吸して「よし」

そうやって自分で自分を踏ん張らせ、心の置きどころを整え、区切りをつけられるようになった。だから、時間にも場所にも様式にもこだわる必要はない。

死はそのひとにとっての時間の停止だ。すべてが終わる。僕が祈ったり、線香をあげたり、数珠をすったり、読経したり、灯篭を流したからといって、魂をどこかへ導いてあげられるわけでも、先に逝った家族に早く会わせてあげられるわけでも、家に迎え入れてあげられるわけでもない。夢枕に立つことがあるとすれば、それは彼ら彼女らの意志ではなく、自身の願いがもたらした、ほんの小さな奇跡だ。

だからといって、他者による弔いを否定するものではまったくない。家族や仲間で集い、泣いたり笑ったりすることによって救われるひとは多い。それが普通だと思う。気持ちは十二分に理解できるし、それによって安らぎ、前向きになれるのなら積極的にそうした方がよい。無理にふたをしたり、がまんしたりする必要は全然ない。宗教や信仰の対象はそういう心にこそ、寄り添ってくれる。

ただし、大前提として大切なことは、そのひとの命が消えてからあれこれするのではあまりに遅いということだ。命があるうちの行いにこそ意味がある。そこにしかない。顔を見せる、食卓を囲む、話を聞く、そばにいる、写真を送る、手紙を書く。なんでもいい。そのひとが死んでしまったのなら、そのひとのために後からできることはなにひとつない。花をたむけることも写真や墓石に語りかけることも、残された自分自身を慰めるためでしかない。死者が見ているわけでも喜ぶわけでもない。そう僕は考えている。

11年前、同業だった友人Tが事故で死んだ。なにかにつけて「伊丹と俺は同い歳だから」と言っていたのだけれど、同じ年に生まれ、同じ時代にもまれ、同じように未来へ向かっていた存在は、確かにちょっと特別だ。学年がひとつ上でもひとつ下でもなく、生まれ育った環境は違っていてもあらゆることを共有してきた感覚は他に例え難い。

Tの葬式は、それはそれは盛大で華やかだった。葬儀場には多数の写真が飾られ、そのパネルを突貫で作る作業はなんだか楽しかった。追い込まれた校了前にも似た一体感。そんな雰囲気があり、自分の葬式もこんな風だったらいいな、と思った。

だからカメラマンのNちゃんに、「俺の時もパネルよろしく」とお願いした。以来、仕事であってもプライベートであっても写真に撮られる時は可能な限り笑顔で写るようにしてきた。葬儀場に飾られる写真のどれもが笑っていたなら和んでいいかも、と考えたのだけれど、もしかするとやや気持ちが悪いかもしれない。

もっとも、通夜や葬儀に参列しなくなったくらいだから、自分自身のためにそれらを執り行う必要もない。今はそう宗旨替えしている。ナレ死くらいふわっとした、あっけない感じで周囲に伝わればいい。

K県にあるTの墓参りには時々行く。O県にある実家の墓も参ったことがある。けれどもそれはTと語らうためではない。いつも手ぶらだし、線香をあげたりもしない。Tはそこにいるわけでもなく、空から見ているわけでもない。ただそこで「よし」と自分自身を踏ん張らせるために行く。

今のところ200歳くらいまでは生きたいと思っている。


(写真は2007年、マン島のコースサイドで見かけたT。たぶん昼寝から起きたところ)

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