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#116 アウトプットよりもインプット

バイクに興味を持ったなら、どうやって免許を取り、どれが自分に合うモデルで、パーツやアクセサリーやウェアはなにを選んで、どこへ行って、なにをすればいいのか。

 少し前までの雑誌は、最低限そこまでをカバーしていればよかった。編集者は読者に情報を提供し、読者はその情報をインプットできれば、本体価格800円に見合う価値として認めてもらえていた。

 そこに夢や浪漫や挑戦やダンディズムが盛り込まれていれば、さらによし。雑誌を手にして、読むだけで心が満たされた時代があった。そこで完結できたからこそ、毎月発売日を楽しみに待つことができた。

 ふた昔前までは、バイクの楽しさをアウトプットできる人間は限られていた。その術に長けている者が編集者やライターやジャーナリストや冒険家となり、表舞台に立つことができた。そこで稼ぐこともできた。

 でも今は、誰もがアウトプット可能なスキルを持ち、それを後押ししてくれるメディアが用意されている。SNSやYouTubeが作り出すコミュニティはとてつもなく広く、世の中のライダーは雑誌の情報を待っている必要なんかない。世界とつながることはたやすく、しかもすべてが無料なのだから、雑誌が斜陽なのは当たり前。編集部には数人しか在籍しておらず、情報の深さも広さも速さも追いつくわけがない。

 それでも紙媒体でやっていくのなら、ネットでは拾えない情報の深さと広さと正確さと信用で勝負するしかない。コストと時間と労力を掛けて、それらを自分の足で集めにいくしかない。たとえば『RACERS』(三栄書房)や『Bikers Station』(遊風社)のように、ピンポイントなネタがA4版100項の中にきちんと収まっていて、ネットのようにあっちこっちへ飛ぶことなく、そこで完結している手の内感が重要だ。雑誌という形態を望む人種なら、それが満たされていれば本体価格2500円くらいまでは許容範囲だと思う。

 「バイク最高。だからみんなで一緒に乗ろう&楽しもう」というアウトプット方向、もしくは拡散方向では、どうやってもネットにかなわない。他では知り得ない情報やデータがきちんと集約されていて、読者の知識欲をいかに満足させられるか。そういうインプット方向でしか雑誌の役割は成り立たない。というよりも、雑誌の存在意義はもともとそこにあったはずなのに、作り手が「読者目線」、「ビギナー目線」を都合よく解釈して、コストも時間も労力も掛けなくなってしまって今がある。防戦を余儀なくされているのは、要するに舐めているからだ。

 子どもは大人に目線を下げてほしいわけじゃない。手を抜いて鬼ごっこに付き合ってほしいわけじゃない。大人が独り自分の世界で遊んでいるのを見て、そこに憧れるのだ。その様が気になって仕方がないのだ。一緒になってはしゃぐような大人は、やがて相手にされなくなる。子どもの成長は早い。

 質の高いインプットをどれだけ提供できるか。そういうコンテンツをいくつ用意できるか。乗るというアウトプットは、ライダー個人にまかせておけばいい。

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