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#405 意外と保守的

生物の多くは、外敵から逃れるためのカモフラージュ術を身につけたり、極寒や灼熱の中でも生きられるように身体の仕組みを適応させながら今に至る。そうやって自然淘汰を繰り返してきた、という考え方が進化論(の一部)だ。

ところが、実際にはそれだけでは説明がつかない生物が多い。たとえば、クジャク。オスの鮮やかさは当然メスの気をひくための装飾だけど、いくらなんでもそりゃやりすぎではないか。その一瞬はよくても、あまりに無駄が多くて敵の目にも留まりやすく、あんなものを背負っていては、もしもの時に逃げづらい。あの羽根はハンディキャップそのもの。生まれながらにして、それを背負っていると言ってもいい。

ところが、ハンディキャップも度を超えていると、捕食相手もちょっと怯む。「なんかヤッベエやついるやん。あいつ、あんな宝塚みたいな格好して普通に森ん中、歩いてるやん。なんか階段降りながら歌い出しそうやん……」と距離を置きたくなり、うかつに手が出せなくなるらしい。そんな風に、無駄に無駄を重ねて進化してきた様を、ハンディキャップ理論とか、ハンディキャップ原理という。進化論に対して、比較的新しい考え方だ。深海の世界では、特に顕著に違いない。

クルマでいえば、ランボルギーニがこれに相当すると思う。今どきはもっと他にふさわしいたとえがあるのだろうけど、イメージとしてはああいう感じ。静かなわけでも、乗り心地がいいわけでも、特別速いわけでもなく、ただひたすら目立とうとして目立っている存在だ。都内を走っていると、クジャクや宝塚をそこらじゅうで見かける。

翻ってバイクの世界はどうか。バイクなんて、存在そのものが無駄に思えるけれど、意外とクジャクはいない。スーパースポーツの220PSや300km/hオーバー、ウイングレットの類は、公道では無意味でもサーキットで機能するものだし、アドベンチャーモデルの重装備は、遥か遠くの地に辿り着くためのサバイバルスペックだ。意味も目的も持たない個体は、思いのほか少ない。ややそれに近いのは、ハーレーダビッドソンのCVO系あたりだろうか。

だから、バイク界は健全だ、ということではない。どうしようもなく役に立たず、存在意義のないモデルがもっとあってもいいと思う。

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