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#253 YouTuberとかBloggerとか

バイクの試乗会やイベントに、インフルエンサーと呼ばれるひとたちが参加するようになり、そのポジションがすっかり定着した。もちろん、その多くは自主的にくるわけではなく、メーカーなり、メディアなりが声をかけ、SNS、動画、記事を介しての情報発信を依頼、もしくは期待してのことだ。

彼ら彼女らにかかるコストに対して、どれくらいの効果があるのかは分からない。メーカーのマーケティング担当だって、推し量ることは難しいはずだ。とはいえ、リツイートやシェアの数、動画の再生回数といった数字は目に見えるため、即効性のある成果として上司や本社、取引先に報告しやすい。この流れは当面続いていく。

4年くらい前までは、彼ら彼女らのことを気にも留めていなかった。3年ほど前から視界に入るようになったものの「まぁがんばりや~」という気持ちで眺め、仕事の主戦場をウェブに移した2年くらい前からは時々「チッ」と思っていた。すみません。そういう時間を経て、この1年ほどは「みんな戦ってんだなぁ」と応援の心で見ている。本当です。ライターやジャーナリストと呼ばれる、競争の少ない人種と比べると、遥かに混沌としている。

彼ら彼女らがバイク界に足を踏み入れてこられたのは、ごく簡単に言えば、チョロかったからだと思う。チョロい土壌を作り上げたのは、我々に他ならない。紙メディアこそが正統だと信じ、そこに安心していた我々だ。

この20年、多くのメディアがたいして手間をかけることなく手軽に情報を発信し、ひまつぶしのおしゃべり程度の内容を右から左へ流し続けてきたのだから、「あれだったら俺でも言える」、「これくらいなら私でもできる」と考えて当然。だったら、ビジュアルがよく、歯切れのいい若手に取って代わられた方が健全だ。

チョロさが悪いと言っているのではない。そこにお客さんがいるのも事実なのだから、需要があればそれに応えるのが仕事。一方で、そういう軽さに辟易としているお客さんがいるのなら、そのひとたちのための満足を提供するのも仕事。どちらが良いとか悪いとかではない。プロとアマチュアの境目があいまいなまま、いろいろなことがただ垂れ流されている現状が少々気持ち悪い。メディアやメーカーは、その目利きであるべきなのに、機能不全に陥っているところに問題がある。

その目利きから外れたライターやジャーナリストやユーチューバーやブロガーは、淘汰されて然るべきなのに、そうならないところに問題がある。

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