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#117 編集者生活の始まり

バイク業界には昔っから居るような顔をしているけれど、実はそれほどでもなくてこの4月で丸19年。ようやく中堅とベテランの狭間といったところでしょうか。初仕事は『クラブマン』に配属された2003年4月のこと。ヤマハSRのデビュー25周年を記念した小冊子を作ることだったわけですが、その時の思い出を8年前の『ahead』に書いています。

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『忘れられないこの一台 ~YAMAHA SR400~』

正真正銘のシングルマン。そう呼ばれるひとりの英国人に会った。その男は自分の両足を指さし、「ほら、右足の方が左足より少し太いだろう? なぜだと思う? それは何十年もビッグシングルのキックスターターを蹴り飛ばしてきたからさ」と微笑んだ。

今思えば、ちょっとしたジョークだったのかもしれないし、果たして本当に太かったかどうかも定かではない。ただ、バイクにどっぷりと浸かった人生であることは間違いなく、強く印象に残った。2003年の春のことである。

当時、僕はバイク雑誌『クラブマン』の編集部に配属されたばかりで、その初仕事として、ヤマハSR400の発売25周年を記念した冊子作りを担当することになっていた。

巻頭特集はSRのツーリングインプレッション。それは王道ではあるがありきたりでもあったため、編集長が一計を講じ、旧知の英国人ジャーナリストを呼び寄せた。

ノートン、マチレス、ヴェロセット・・・・・・そういうキラ星のようなビッグシングルの国で生まれ育ち、洗練さとは無縁の鼓動を知るライダーにニッポンのチュウガタシングルを評価してもらおうと考えたのである。

そのアイデアに乗ったのが、自他ともに認めるシングルマン、フィリップ・トゥースさんだった。

箱根のワインディングをひとっ走りして都内へ戻る、関東近郊のライダーなら誰もが知る定番のショートツーリングだったが、その原稿は素晴らしくおもしろかった。

SRのことを決して手放しで褒めたりはしない。それはそうだろう。なにせ乱暴者との誉れも高いBSAのDBD34ゴールドスターをガレージに収め、スロットルを全開にする時に備えて、耳栓を携帯するのが当たり前の男である。SRの排気音など、ささやきにも感じられなかったに違いない。

実際、原稿にはシニカルな言葉も並んでいたが、バイクとSRへの愛にも溢れ、読み終えた時には、いつ絶滅しても不思議ではない空冷のシングルスポーツが、ごく普通に手に入れられる国にいることと、それを守ってくれているヤマハを誇らしく思えたほどだ。

そうやって、SRに囲まれながら一ヵ月程が経過し、初めて自分が関わった本が出来上がってきた頃には、すっかりその世界に魅せられていた。そしてほどなく、僕は一生乗るつもりで新車のSRを買ったのだ。

結婚、子供、独立、レース・・・・・・その後起こった自分の身の回りの変化の中で手放してしまったが、SRは昨年35周年を迎え、今もなんら変わらず作り続けられている。

一生乗るつもりで手に入れるのは、まだ先でも良さそうだ。

(初出:『ahead』2014年3月号)


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