見出し画像

#099 ちら見せの美学

スケルトンの「スケル」という語感のせいか、スケルトン=透けているもの、という認識のひとは多い。半透明のケースで覆われている電化製品なんかが一時期流行り、一般的にそれらがスケルトンと呼ばれていた影響もたぶん少なくない。

スケルトンとは本来「骨組み」を指す。建築物で言えば柱や梁のことだ。骸骨に限らないけれど、人体や動物の骨格のこともそう呼ぶ。では、ひとり乗りのソリで滑走する競技がなぜスケルトンと名づけられたのかと言えば、その構造が骨さながらの明け透けな仕組みだからだそうだ。

バイクを見た時に、美しいなと感じられるたたずまいは大体スケルトン状態だ。とはいえ、まっ裸だといまひとつ。燃料タンクやシートカウルは装着されたままだけど、フレームやエンジンはそこそこ見えている半スケルトン状態がセクシーでよい。

タイトルカットの車両は、以前取材で試乗させてもらったカジバのGP500マシン「V594/ジョン・コシンスキー車」のものだ(ライダースクラブ2018年8月号に掲載)。そうそう、まさにこういう半裸な感じがたまらない。グッとくる。女性の場合でも、あんまりあけっぴろげるより多少はなにかを纏っていてほしい。

仕組みがほのかに見える、ちらりと見せるって大事だと思う。探求心がくすぐられる。想像力がふくらむ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?