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「いっぺんに全部書こうとしてしまう」問題

精力的に調べ物や取り組みを行って、いろんなことが新たに見えてくる面白さを知った院生が、それを論文(教職大学院だと課題研究)にまとめる段階になって、直面しやすい問題。

自分に見えてきたことを、論文の中で最初からいっぺんに書こうとしてしまう。

例えば…。

◯◯の実践において、今まではもっぱらAのタイプが念頭に置かれて、Xのやり方が用いられてきたけれど、Bのタイプも存在するのであって、そこではXよりもむしろYのやり方が有意義となるのではないか。

といった枠組みで研究を進めていたとする。
そうやって進めるなかで、このYのやり方が、Bのほうだけでなく、Aのタイプに関しても実は意味があるのではないか、ということが見えてきた。
その際に、「Yのやり方はAにもBにも大事なんだー!」ということを最初から言っておきたくなる。そしてその結果、話がゴチャゴチャして、スキッとしない、分かりにくい論の流れになってしまう。例えば、

今まではもっぱらAのタイプが念頭に置かれて、Xのやり方が用いられてきたけれど、XではないYのやり方が、AにもBにも大事なのではないか。

といったような。

ここで大事なのは、一つ一つ話を進めていくこと。
自分に見えてきたことを一気にドッカーンとぶちまけるのではなく、読み手が一歩ずつ理解していけるように、話を進める。
先の場合なら、例えば、元の枠組みにしたがって、

Aのタイプの場合にはXのやり方が用いられてきたけれど、Bのタイプの場合にはYのやり方が有意義である。

ということまで、まず言ってしまえばよい。そして後で、

けれども、実はこのYのやり方は、Aの場合にも有意義なんじゃないか。

とひっくり返す。
もちろん、この展開でなくてもよいのだが、なにしろ大事なのは、いっぺんに言おうとしない、一つずつ叙述していくということ。

このあたりの感覚は、つかむのが難しい。
真面目で熱心で貪欲な学生ほど、書くことをめぐるこの壁にぶち当たりやすい気もする。

しかも、実際に自分が書いてみないと、この壁に気付けない。
先日も、現職院生の研究指導をしていて、「どこに何を書けばよいか分からないんです〜」と言うので、「だから春学期にいろいろ論文読み合わせをしたじゃないですか」と答えたら、「あーーっ! けれど、やっぱり自分で書いてみないと分からないもんですね…」と言っていた。

私も、以前よりマシになったとはいえ、書くのは苦手。
院生から、
「渡辺先生とか、もう書き慣れていて、サクサク書ける感じですか?」
と聞かれたので、
「いや、私なんてむしろいまだに苦手なほうです。というか、調べたり分析したりの研究活動は好きでも、論文にまとめるのが苦手、ツラい、という人は職業研究者でもいっぱいいると思いますよ。論文を書くというのは、基本的に、苦しい作業です」
と答えたら、
「えーっ、そうなんですか!!」
と驚いていた。

もちろん、この苦しみのなかで得られるもの、その面白さと喜びもあるのだけれど。
いずれにせよ、1年履修の現職院生が、この時期にこの壁にぶつかることができているのは、順調というか立派なくらいだ。
次、どんなものを書いて持ってくるか、楽しみ。


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