辛酸



 城山三郎著「辛酸」を読みました。著者は作家で、いろいろ読ませて頂いております。田中正造について掘り下げようと検索したら、城山三郎がヒットするのですから、これは読まなければなりません。


 田中正造は、衆議院議長まで務めた方ですが辞職、足尾銅山の公害問題について各地で演説を行い、明治天皇へ直訴を試見たというところが有名です。しかしながら、本書では直訴は過去の話。その後の田中正造、そして田中正造の手足となって働いた島田宗三(本書中では宗三郎)を中心としたストーリーです。いや、田中正造は中盤でなくなってしまうので、主人公は宗三郎なのでしょう。


 足尾銅山の公害については、勝手に直訴後に改善されてめでたしめでたしかと思っておりましたが、全くそんなことはありませんでした。被害を受けた谷中村を名目上は水害防止のために遊水地にしようという計画がもちあがりますが、これは鉱毒事件の痕跡を消し、鉱毒沈殿させる含みがあると田中が見抜き、谷中村の四百戸の内十九戸の住民が残留、田中正造は谷中村の住民ではないものの、ともに居残っていたそうです。十九戸の内、遊水地に予定された土地にある十六戸の家は国家によって強制破壊されたということでした。


 家を破壊されても住民は谷中村に残り、穴ぐらの中や作った仮小屋で生活を続けます。この生活の描写がなんとも不憫でたまりませんでした。幼い子どもがいる家もあり、衛生的にもよろしくない環境ですが、それでも谷中村を離れようとしません。そうした中で、県が懐柔策を持ってきたり、警察が河川法違反等で逮捕しようとしたりと、あの手この手で退去させようとします。


 正直、私自身は幼い子どもがいるという次点で、田中正造らの活動に共感はできませんでした。そんな悲惨な生活を当たり前のように続ける住民の方々、それを代表する宗三郎の思いというのも同様です。現代に生きる私が恵まれすぎているから理解できないのでしょう。残留している村民の仲間が亡くなり、それでも宗三郎が活動を続けようとするも警察に追われ、とうとう追いつめられたところで終了でした。うーん、なんとも救いようのない話ですが、魚住昭氏の解説にも「この物語には救いがない。」とありました。「しかし、それでも読み終えた後、魂の奥底に染みるような透明感が残る。」とつづきましたが、私にその透明感が残ったのかと言われればちょっと怪しいです。


タイトルの「辛酸」は田中正造が度々揮毫した漢詩「辛酸入佳境 楽亦在其中(辛酸佳境に入る また楽しからずや)」という漢詩から取ったものです。著者は「辛酸を神の恩寵と見、それに耐えることによろこびを感じたのか。それとも、佳境は辛酸を重ねた彼岸にこそあるというのか。あるいは、自他ともに破滅に巻き込むことに、破壊を好む人間の底深い欲望の満足があるというのだろうか」と書いているそうです。どう捉えたらよいやら、難しいですが、意味があるのか、いつ抜けられるのかわからないような辛酸でも耐え続けるところに美徳があるような気がしないでもありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?