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親に感謝。

教育にはお金がかかる。
学校教育だけでじゅうぶんな学力が身につけばそれが一番だろうけど、そうなっていないのが現状だ。

塾や習い事にお金をかけた分だけ学力リターンがあるのは、東大生の親の年収を見れば納得するところもある。
当然それが全てではないけれども。
と、釘を差しておく。

さて、僕の場合を思い返してみる。
これからの文章は、保護者説明会のアイスブレイクとして話すこともあるので、内容が被ったら申し訳ない。
その時は聞いていないふりをして聞いて下さい。

僕が小学生の頃、何かのきっかけで大学に行きたいと親に言った。
たぶん、担任の先生の影響だったろう。
詳しくは覚えていないが、漠然と大学へ行きたいと言ったことは覚えている。

母は驚いた様子もなく、僕の意志を受け入れてくれた。
成績も悪くなかったし、期待もしてくれたのだと思う。

程なくして専業主婦だった母がパートで働きに出るようになった。

近くの食品工場だったが、家に帰っても母が居ない日が増えた。
今では珍しくないのだが、やはり当時は稀有な状況だったと思う。
いわゆる鍵っ子だ。

中学に上がる前に母が家庭教師をつけてくれた。
塾というものが近くにないほどの田舎だったので、中学レベルの勉強を指導できる人がいなかったのだ。

家庭教師は、英語と数学の2教科を週1回。
有り難いことに、学年で1桁の成績をキープできた。

今ならわかるが、成績上位だった同級生たちは、お医者や公務員・経営者のご子息が多かった。
僕みたいなサラリーマン家庭は珍しかったと思う。

県立高校に落ちて私立高校に行くと、ほとんどの家庭では学費が払えないというのが当時の常識だ。

だから、中3の受験期になればさすがに塾へ行く。
ただし基本的に塾に行くのは、中3の部活が終わった夏休みからというのが主流だった。

だから、僕のように中学に上がるときから、別の教育費を払ってまで、というのは珍しいのだ。
中1からの家庭教師だとかなりの教育費がかかったと思う。
それでも子どものためにと頑張ってくれたのだろう。

当時の時給はいくらだっただろうか。
500円くらいだろうか。
本当に有り難い。

おかげで高校は地元の県立高校へ進学できた。
地域トップ校だ。

ちなみに高校では塾や予備校へは行かなかった。
塾代と大学進学費用との両方を捻出することが厳しいことは子どもの僕でもわかった。

私立大学は受けない。
通えるのは国公立大学のみ。
それが僕の選択肢だ。

今思えば、塾や予備校のテクニックは凄かったと思う。
教える立場になるとよくわかる。

もっと効率よく勉強できただろうなんて思うこともあるが、過去は変えられない。
むしろ、塾や予備校に行かずに頑張ったと自負している。

当時は学校でわからないところは高校前の本屋で探した。
英文法が苦手だったので、良さげは本を買って読み込んだ。
今ほど優しくイラスト付きで説明してくれる参考書は無い。
お陰で読解力はかなり身についたと思う。

そして高校3年になる頃には地元の大学へ進学できるだけの学力はしっかりと身についていた。

その後の受験勉強の大変さは割愛するが、僕はとうとう合格通知を手に入れたのだ。
僕に期待をしてくれた親には感謝しかない。

教育にはお金がかかる。
それは今も変わらない。

しかし、ある程度は平準化しないといけないのも事実。
学習の機会は一定水準以上は必要だ。
これ以上は政治の話だ。

エピローグ

親が用意してくれた入学金の振込に郵便局へ自転車を走らせた。
無事に振込が終わり、春からの大学生活に期待が膨らむ。
あの時ほど自転車を軽快に漕いだことはないかもしれない。

最高の瞬間だった。
僕には明るい未来しかない。
明日は入学式のスーツを買いに行く予定だ。
家庭教師をしてくれた先生にも伝えないと。
やることがいっぱいだ。
楽しい!!

そんなことを考えながら家路へ急ぐ。

不意に町のサイレンが鳴り出した。
消防サイレンだ。
どこかで火事があったのだろう。

自宅への帰路、にわかに道路が混みだした。
田舎で道が混むことなんてない。
しかもこんな小路。

人だかりだ。
近所の人たちが集まってきている。
視線の先には消防車の赤い光が連なっている。

我が家はまだ見えないが、その方向から黒い煙が出ていた。



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