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二回目の決算を迎えて

会社を立ち上げて2年目に入りました。

まず初めに

ここまで支えてくれた仲間。
見ずしれずで勢いだけの若者に関わってくれた方々。
そんな僕らにご縁を紹介までくださった方々。

重ねて感謝いたします。

「本当にありがとうございます」

今回は、決算ということもあり
振り返りも兼ねて、創業時からここまでの経緯を書きたいと思います。

2017年5月 退社
3年以内に起業すると決めていたこともあり、新卒で入社した会社を退社。
(意思の無い人達の調整に閉塞感を感じ、少し早めであったが二年目で退社)

2017年6月 妹の事故
個人事業主として資本金は400万、離職当初の予定とは異なる事業ではあったが友人を誘い「交通事故に関するベンチャー」として事業を開始した。

右も左もわからないままVC、新規事業バンバン立ち上げてる方、ベンチャーの社長、政治家の方など、ひたすら人に会うことをしていました。

その中で数多くの人に「そんなのできるわけない」「交渉にすら取り合ってくれない」など言われることもありましたが何分人の話を聞かないのが強みですので着実に人にあうことを進めてきました。笑

2017年7月 為せば成る
ある方にPMFが非常に大切になると教えていただき、実際にお金に結び付くのかを検証するために、仲間が「事故の多い交差点」に立って映像を撮影し続け3日目に撮影に成功、事故に遭ったばかりの方に営業してくれました。(不謹慎ではありますが、、。)

また理解をより確かなものにするため駅での実地調査とSNSを活用したアンケート調査で300名余りの方に事故の調査を行いました。

その結果からある程度の価値があることが分かった私たちは、私たちは、思いつく限りの関係各所に交渉を進めることになりました。

2017年8月 熱意に人は動かされる
飛び込みで大手T電力様と交渉を開始。事業にかかるであろうお金を工面してもらえるよう交渉。設置に関する機材貸出や調査に伴う費用の負担などより具体的に話は進んでいきました。

2017年9月 無法天にも通ず
T電力の担当者の方が社長決裁まで持って行ってくれ事業が本格的に検討段階に入る。(当時4000万くらいなら実証段階で出せるとまで言ってくれていた。)ただし全ての体制が整い次第になるから、早急に体制をまとめてほしいとのお達しを受けた。

2018年11月 井の中の蛙、敗北を知る
ある方からの紹介で大手保険会社M社と交渉開始。
その翌週に総勢10名近くのまえでプレゼンすることになり「その場で答えが欲しい」と伝えると「無理だ」と断られる。しかし、今後も情報提供や支援はすると約束してもらいあえなく撃沈。

それでも別の保険会社へ交渉を進めるべく愛知県の県議や地域の市長とも同時に交渉を開始した。

また更なる情報を開示してもらう為、愛知県警本部に幾度交渉に行くがはじかれ、愛知県内のすべての警察署を回り情報を集められるだけ集めました。(途中から不審者として指名手配のような感じなったことは内緒。)

その間にプライバシー問題等で市役所とぶつかり、それならと国土交通省への交渉や、経産省の「グレーゾーン解消制度」を利用したり、自身が議員になろうとしたりしました。(その節では、県議にはとても迷惑をかけた気がする、、、。すいません。)

2018年12月 撤退するのも勇気
仲間と相談し、一時的事業の撤退を決意しました。
この時すでに、自己資金が10万円を切ってしまっていたから。
(思いだけでは、事はならず、やり方も非常に重要であることに気が付いた瞬間でもあった)

2018年12月 新たなる仲間との出会い
何としても儲けなければいけなくなった私たちは、仮想通化熱が高まってきていることを知りに、優秀なプログラマーの卵に出会うべく、プログラミング講習に参加。

そこで、あるエンジニアに出会い猛烈にアプローチし、仲間になってもらった。(よくわからないことを言い続けたことが功をそうしたのかいまだに謎)自分たちの状況を話すと、「給料必要ないから」とまで言ってくれた。

そんな彼と作ったのが「仮想通貨の自動裁定取引システム」。
システムシミュレーションでは、秒で約2万円相当分稼ぐものになった。
これには、さすがに感動を覚えた。

早速使ってみたが全然機能しなかった。

そこには大きな落とし穴があったのだ。

原因は、資金力が圧倒的に足らないことだった。

最低でも1600万は必要だったのだ。

当然資金集めに奮闘するが、一円も稼ぎだしていない私が借りられるところはなかった。(そんな中でも時間がもったいないとか言ってみんなで手作業で取引していたのを今でも思い出す)

最終的には、全然お金にならなかった。

2018年2月 初めての別れ
仮想通貨ビジネスがとん挫してからは、アイディア出しすぐにシステムを作ってもらっては、営業を繰り返してはみたものの全部、思いや熱意がこもり切らない中途半端なものが出来上がってしまっていた。アイディアが付き始めたところで、「さすがにもう…。」とラインだけ残してエンジニアは、私たちの前から姿を消してしまった。

この時ばかりは、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

2018年6月 縁に恵まれて
とある縁から自転車に関する新しい事業を開始することになった。
仲間に、「目の前の人を助けて、稼ぐことを経験していこう」とだけ伝え、猛烈に反対をされながらも進めていった。親からもお金を借りて始めた。

当初は、田舎ということもあり、非常に泥臭くサービスのチラシを印刷しては、届けてを炎天下の中繰り返していった(真っ黒に日焼けしたことは、今となってはいい思い出だ)

作ったこともないホームページを自分達で作成し運用。

2018年8月 初めてのお使い
ネットマーケティングを活用を始め、集客力が大きく改善され始め、売り上げが伸びてきたことをきっかけに初めて広告の運用を開始。起業後、初めてお金の使い方を勉強できた瞬間でもあった。

2018年12月 ピンチをチャンスに
業界として低迷する時期に、当初から取得している顧客データをを活用し、仲間とともに施策を絞り出した。ゼロサムゲームが大好きだが、流石にこの時の施策が思い切り過ぎて仲間と散々もめたことがすごく記憶に新しい。

2019年1月 ビビって迷走
ある程度の収益は出ていたが、思い描くビジネスモデルに着地できず、不安や焦りが次第に募り、別の事業を探し始める。その時、たまたまSNSで見かけた。広告ビジネスに興味がわき、1週間でホームページ制作から大手広告代理店二社とノルマなしの一次店契約にこぎついた。(同業界の人には、頭おかしいといわれた)

2019年4月 広告代理店事業からの撤退
自分達のサービスを続ける傍ら営業を重ねるうちにふと気が付いた。この代理店事業は、自分達のサービスではないことに。これでは従業員と大差はない。どうせ一回きりの人生だ、「自分達のサービスで世界で勝負したい」と強く思うようになり、仲間に相談したところ「お前の思うようにすればいい。俺はそっちのが楽しいから。それに事業を育ててきたから親みたいな気分だし。」と言ってもらい早々に代理店契約の解消のあいさつに伺うこととなる。

2019年5・6月 腹をくくれば大抵何でも面白い。
やめて早々に、価格の調整や今まで手が回りきっていなかったことを整理してうちだすことで過去最高収益連続してを達成することに成功。細かいところも見るために仲間に本などを経費として買うこと勧める。

2019年7月 目標であった大台の金額を突破。←いまここ。
細かい諸所の調整なども必要だが、再現性を持たせるために全力を尽くしてる。

まだまだこの会社は、脆弱な状態ではありますがこれからもどんどん挑戦していくので遠くから「本当にバカだな」と見守っていただけたら幸いです。

あと絶賛仲間募集中! (明日から無人島ね!と言われても本気楽しめるような人限定)流石にこの歳になると守りに入る人のが多いか。笑

#若手起業家のリアル #初めての投稿 #拙い文章

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