note表紙_ヴェニス

もうひとつの「ヴェニスに死す」『マチネの終わりに』

人形を作り、それをつかった写真作品を作っているサイトウタカヒコです。イタリアは好きです。
そして今回のnoteは若干長いです。長いでしょう。(Portfolio Website:http://saitotakahiko.strikingly.com)

毎日新聞・note上で連載している平野啓一郎さんの新作小説『マチネの終わりに』との連動企画に参加しています。

表題のトーマス・マンの中編小説「ヴェニスに死す」は『マチネの終わりに』で、年を経て現実社会への嫌気がさし、本来の自分に立ち返ろうとして身を滅ぼす「《ヴェニスに死す》症候群」という造語の形をとって蒔野と洋子のやりとりの中に何度か登場します。

今回はその小説でも映画でもない、先日ようやく見ることのできたもうひとつの、「ヴェニスに死す」。
『オペラ』版「ヴェニスに死す」についてのお話です。


◆右がオペラを作ったベンジャミン・ブリテン(1913-76)左は生涯の盟友だったオペラ歌手ピーター・ピアーズ。
ブリテンは同性愛者で、ピアーズはそのパートナーでした。

オペラが制作されたのは1973年。もっとも有名な映画版の公開の2年後ですが、まったく違う趣の作品になっています。
(また作曲が終わるまで映画版は見ない方がよい、と関係者からアドバイスを受けたとも言われています。)

◆20世紀初めのヴェニスの高級ホテルの一室。

オペラ版の「ヴェニスに死す」は映画版での設定の音楽家とは違い、原作通り主人公のアッシェンバッハは作家という設定になっています。なので彼は冒頭から始終、自分の想いや苦悩を独白(歌)にして、そして言葉の洪水と泥沼の中でもがきます。歌手はテノール(高音域)が担当します。

映画版はビョルン・アンドレセンという奇跡的な美少年によって演じられた、少年タジオはオペラ版では一言も発さず、また歌手ではなく若いバレエダンサーが演じます。

さらにこの作品のもう一つの特徴は物語の中で登場する脇役。船頭やホテルの支配人、道化、理髪師をすべて同じ低音の男性歌手が担当しています。また具現化した神であるアポロやディオニソスがたくましい男性の姿で登場し、主人公を官能の悪夢に誘い込む退廃的でエロティックなシーンも存在します。

こうしてできあがったもうひとつの「ヴェニスに死す」は
原作、映画ともちがう詩的で女性的な表情を持っています。
髭面の老人の外見ながら、作品上唯一の高音で歌うアッシェンバッハが禁じられた愛に美を感じながら苦悩する姿は、男性の姿であると同時に、女性のようにも思えます。
また一言もしゃべらないバレエダンサー演じる、理想的な肉体を持ったタジオは本当は実在しない幻のようにも見え、アッシェンバッハの前に度々現れる同じ歌手が演じる脇役や官能的なシーンは、そもそも主人公は本当にヴェニスにたどり着いたのか?とさえ疑わせます。
そしてラスト。砂浜のベンチで独り死をむかえるアッシェンバッハの背中に、静かに鉄琴(?)が響いて幕が下りるのも、どこか夢のような印象を与えます。

…音楽家ブリテン自体は日本では知名度も低く、さらにこのオペラ「ヴェニスに死す」に関しては必ずしも代表作ではなく、入門向けでもなく一般的な作品とは言えません。
しかし、この作品はどんな人々も逃れることのできない「人生の限られた時間の流れ」そして「愛」についての苦悩をどれよりもつよく直接的に描いているように思えて、心に残る作品でした。

◆昔、ヴェニスに行った時に手に入れた古いヴェニスの写真集の一枚。…この方は女性ですが。

…やっぱり若干長い文章になりました。
お付き合いいただいて、ありがとうございます。
下の予告はイタリアの歌劇場の制作したオペラ「ヴェニスに死す」の予告です。ご興味ありましたらどうぞ。

歌劇「ヴェニスに死す」予告編

#マチネの終わりに

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