壺が好きで・・・
どうもこんにちは、陶芸家の高橋燎です。
最近、陶芸家人生で一番大きい壺を制作しました。僕にとって壺とは何なのか?今日はそんな話を書こうと思います。
僕が壺をつくる理由
僕は壺の「形」が好きです。足元からふくらんでいくライン、肩から口元までのすぼみ方、その調和が美しいと感じます。
焼きの景色からは、炎の流れのダイナミズムを体感できます。何よりもスケールの大きさが大壺の魅力です。僕の場合は、トレインキルンの炎の対極的な流れを視覚化することができるのが大壺です。毎回の焼きに必ず入れたいと思ってコツコツ作っています。
壺に魅せられる人は老若男女世界中にいて、壺を抱いて寝たいという人にもお会いしました。分かる!
いまの壺、むかしの壺
日本ではすべての壺を「壺」と呼びますが、英語では植物用の壺なら「pot」、食品保存用なら「jar」、花を飾るなら「vase」と訳されます。
かつては菜種油や種を入れるための食料保存容器の「jar」や「pot」だった「壺」の役割が変化を遂げて、江戸時代に入ってから茶陶において「jar」だった「茶壺」が「object(オブジェ)」としても鑑賞されるようになりました。そして現代の日本で焼かれる「壺」はほぼすべてが「object(オブジェ)」か「vase(花器)」またはその両方を指します。
用と美という関係で考えると、現代の壺は美に限りなく近い用のものと言えます。
現代の壺の役割
僕は現代の壺には、置いた空間の意味を示す役割があると考えています。
たとえばホテルのロビーや料亭の玄関に置いてあることが多いのが大壺です。大壺には人がお迎えすることに匹敵するおもてなしの役割があるように思います。これは立体であるということが一つの理由ではないでしょうか。絵画や掛け軸は空間を整えることはあっても空間を占めるものではありません。立体の壺はより人の存在に近く感じられるのかもしれません。
やばい壺を作りたい
僕は「やばい壺」を作りたいと思っています。
僕の思う「やばい壺」というのは土が生きているように感じる壺です。
信楽の焼締め陶芸家である藤本秀さんは壺を作ることについて以下のように答えておられます。
同じく信楽の焼締め陶芸家である篠原希さんに先日お会いした際に「篠原さんにとって大壺って何ですか」と伺ったところ、「それぞれの土の特性を最大限に引き出すこと」だと話しておられました。
お二人の壺に対する考え方は対になっているようで、繋がっているように思います。
俺もこの境地まで行きて〜〜
作為を超える手がかり
いま分かっているのは、僕はまだ土の特性を活かすところまで考えられていないということです。作りたい形が先行していて、土をただ壺の形にしている感覚があります。まだ自分の作為が出てしまっている。
先日、陶芸の森で手びねり講座の講師を担当する機会がありました。
「手びねりで花器をつくろう」というテーマで集まった参加者の中の一人に「歪んでしまったので作り直してもいいでしょうか」と相談されたのですが、「作り直してしまうと今の状態には二度となりません。この瞬間を大事にしてほしいので、よかったらそのまま仕上げてください」と咄嗟にお答えしました。その人の今を壊してしまうのがもったいないと思ったのです。その方は最後まで作り直さずにそのまま仕上げてくれました。
この相談を受けたとき初めて、作為を超える手がかりは自分の作った形を受け入れることにあるんじゃないかとふと思いました。
そうした結果、そうなった。それをよしとする。良くしようとして修正をしないこと。作為を超えるヒントは、今の自分を受容することにあるのではないか。制作において大切なことを教えてもらいました。
やばい壺をつくるために
作家の輪郭がかたちとして、作家の内面が焼きの景色としてあらわれるのが壺です。もっと土に触れて、土の声を聞かなければなりません。
かつて空手の先生が「一万回稽古しなさい。でも一回一回考えながら稽古をしないと上達はしない」と言っていました。ほんまそれ。
そんなことを考えながら今日も壺を作っています。
壺が好きで・・・
2024.7.30 高橋 燎
第29回信楽セラミック・アート・マーケット
2024年10月4日(金)~10月6日(日)
9:00~17:00(最終日~16:30)小雨決行
会場:滋賀県立陶芸の森
(延期日程:10/25-27)ブース:39A
信楽アートマーケットに今年も出展します。
今回で2018年から7回目の出展です。
今年もよろしくお願いします。
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