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2023年有難うございました。(長い総括です)

2023年は皆様に大変お世話になり、有難うございました😊

年初めから、占いや何やらで「激動の年」と言われていましたが、本当に揺さぶられ具合が半端ない一年でした。

ただ、私の場合は思いがけずも、揺られながら喜ばしい方向に振られていき、多くの幸せに恵まれる年を過ごすことができました。

にしても、予想外の出来事の連続でした。

年始の風邪を拗らせて声が出ず、多くのライブをキャンセルせねばならなかったことから始まり、なんと困った一年が始まったのだろうと自信をなくす日々でした。そんな中でも、共演者や友人に支えられ、1月の日本最後のコンサート『スクランブル古楽』では、全身全霊で何とか歌いきり、今年の歌手活動が始まったのでした。

声も完全に戻らぬままパリに戻り、『ダフネ』公演の再演の日々。こちらも同僚達に支えられて、喘息でヒーヒーしながらも本番ではそれほど迷惑をかけずに歌いきった1、2月でした。
初めて仕事でトゥールーズに行き、南仏の太陽に癒され、日本食のスタンドに食を助けられ、自分自身をどうやって扱ってやると良いのかを考えるようになる日々。
いかに、自分を大事にしていなかったか、ハッと気づいた瞬間でした。

再び日本に戻り、3月には母校での鑑賞教室を任され、生徒さん達の真摯で好奇心いっぱいの観客としての姿に、強く心を打たれました。一体何のために、自分は歌い続けてきたんだろう?という疑問が、ほんの少しだけれど、誰かに還元できたのではと嬉しくなりました。生徒さん達と同じ感覚で喜べたのではないかと。

3月末には、いつも本当に良くしていただいてる横浜エアジンの梅さんのお誘いで「鎌倉遠足」。もう、この発想には本当に驚きました。普段、私は遠足なんてしてなかったよと。
いつも仕事のついでに観光、有り難いけど、どこかにストレスにつきまとう自由時間。それがこの遠足は、とことん遊ぶだけ。大人になって仕事して、この余裕って無かったよ、と。自分一人で緩めきれない私を、ずっと見ててくれる梅さん夫妻に本当に感謝しきれないほど。歌い手としても、海外でよく頑張ってる後輩としても見守ってくれるこのお二人が本当に大好きで。とりわけ、本当にすごいなと思うのが、とんでもない心の器の広さ。(また来年もお世話になります!!!)

ここから再会の嵐が始まります。

浪人中の20数年前に劇場案内バイトでお世話になっていた、当時マネージャーの門田さんとの再会。現在は松明堂音楽ホールの管理とその他のホールコンサルとしても大活躍の彼女と、ゆっくり話す時間が持てました。この20数年は、学生〜プロになった大きな期間。恐ろしいほどの経験やあり得ない体験を積み重ねたことを、門田さんと話しながら気づきました。
ただただ、走り続けてきたような20数年。自分の社会的な価値も、年齢も国籍も住まいも、気にも止めず進んできてしまって、気がつけば大事なものを失ったような、逃してしまったような淋しさを感じていた私に、「美千子ちゃんはたくさんの作品という子供を産んできたじゃないの🥰」と言われて、ふっと心が軽くなりました。初めて、自分のことを、よくここまで頑張ってきたよ、と褒めてもいいのかもと。

2月末に、嘗てリュートデュオを組んでいただいていた金子浩さんを亡くしました。こんな再会は辛すぎた。ショックが辛くて、しばらくぼーっとした日々を過ごしていました。そんな時、ある日実家に帰ると、私の兄が急に体調を崩し、その時なぜか金子さんを思いだし、もうどうなってもいいから救急車呼ばないと!と思い、兄の命を救うために奔走しました。すぐに大動脈解離で緊急手術に。おかげさまで、兄は今、社会復帰もできて、この年末も母と共に元気に過ごしています。姉と必死に頑張りました。この姉とも実は2年ぶりくらいの再会でした。まさか病院の前で再会することになるとは。

姉に兄のことを任せて、再びフランスへ。
ラジオ特番の録音「蛇と白鳩」のレコーディングと、カナダの作曲家のサウンドスケープ的な作品に参加。普段からは珍しく、自然をテーマにした2作品で、心がほっこりしたのを覚えています。ここにも再会がたくさん。

5月にちょっと時間ができて、何をしようと思っていたら、急にプーランクの家に行くことに。え、だっていきなりプーランクですよ。もう意味のわからない凄いご縁。ご縁がご縁を繋ぐ、わらしべ長者のような時間。正直、兄のことで、これでもかというくらいに一所懸命で動いたので、そのご褒美が回ってきたと思いました。感謝して受け取る。そしてその喜びをまた別の人に分けていく。そんな不思議なわらしべ長者です。
この時期も、街を歩けば10年ぶりの同僚や友人に出くわすという不思議の連続。

おひとり様主義を満喫して、ひとりでプラっとお芝居やコンサートに行くのも、結構な楽しみになってきてました。特にフランス語のお芝居がここまで理解できるようになると、満足度がすごい。ようやくこの国の凄さがわかってきたところです。(喋るのは、いまだに子供みたいだけどね。。)

夏は再び日本へ。
関西の古楽コルネット奏者の上野訓子さんからお誘いを受け、カレーくらいに大好きな17世紀初期バロックレパートリーxペトラルカの詩という、私にとって直球ど真ん中のコンサートを6月に京都と東京で行いました。バロックをやってきて、これやりたかった!というプログラムを訓子さんと一緒に組ませてもらい、テオルボの亜紀子さん、ガンバの麗さんと共に、パリ・京都・神戸・千葉からのzoom会議で、ペトラルカと音楽作りのことを何度も何度も重ねて、信用のもとに演奏が出来る強い絆。このプロジェクトは来年も続きます。まずは1月にレコーディング、そして本番は5月末に京都、6月頭に東京です!さらに凄くなってるはず!!

話がそれた(笑)
この時に初のたまひびin関西公演andマスタークラスで、たくさんの関西の方に出会い、もうその熱さに毎日ワクワクしてました。関西、大好きですよ、ホントに!!また1月に行きますからよろしくです!!

さあ7月。
先に話した松明堂での《フランス歌曲》。ピアノの小田さんとの熱い(暑い)音楽の時間でした。小田さんの繊細な音楽と詩に傾倒して弾く演奏にうっとりしながらも、個人的には7月のコンサートは、正直なところ、恩師との再会のボディーブローも加わり、満足は出来ない自分の力量。今までなら、そこで立ち止まってしばらく蹲るような質なのですが、これまた友人達に支えられて何とかキープ。古傷を見るような怖さも、見方を変えれば越えられる。
小田さんとの録音を兼ねて、弘前に遠足へ。小田さんには本当にお世話になりました。弘前で色んなところ歩きながら、こんなに色々話せる相手がいるんだなぁと。自分の会話のリミットが吹っ切れたような瞬間でした。小田さんの優しさのおかげだけれど、優しい時間を過ごせて本当に嬉しかった。だんだんと、本質みたいなものを語りたい気分になってきてました。

8月は、ピアノ・作曲shezooさんと、サックス加藤里志さんとのトリオ。その「本質」みたいなものに、演奏しながら近づいてみたいような気持ちで、演奏に乗っかっていったのを思い出しています。あれ、不協和音って一体なんの意味があるの?とか、そんな疑問。美しくて恥ずかしくないもの、恥ずかしさを隠す不協和音?みたいな、自分としての謎解きのような。結局は歌は恥ずかしいものなのですが、もう割り切らないと出来ないし、今更隠したってダメだなと(笑)
そんなわけで、心を再び改めようと決めて、人生や人や音楽に真摯に向き合うことにしました。
そんなときに、吉田美奈子さんのライブに10年ぶりに伺うことが出来ました。畏れ多すぎて、聞くと真似したくなってしまうような存在。久々に生で聴いたライブは一発目の声から、もう涙がボロボロ溢れてしまいました。たぶん、真摯に向き合おうと思った気持ちと化学変化を起こしてしまって、取り留めもなく涙が溢れたんだと思います。色々な気持ち。また再び聴ける感謝と美しい音楽の世界に、心が喜びの方向に揺さぶられました。

そしてフランスに帰り、すぐにL’ailleurs de l’autre という民族音楽の本番。形態を変えながら、この企画も8年目。自分の歌人生の一部にもなってきてるし、テクニックと精神へのある意味いつもチャレンジングな演目なのだけど、今回久々にパリ公演で気合いが入りすぎて、前日リハでメンバーと衝突。まさかの仲良し同僚が私に怒りをぶつけてきた。彼女曰く私が怒っていたと。かなり険悪になったけど、
ここでも、今までと違う対応で乗り切れた。揺さぶられて、結果的に喜びの方向へ。
お客さんの中にはたくさんの再会が。友人や同僚が心から感動の言葉を伝えてくれる。やっぱり、ここまで頑張ってきて良かったよ、私。

その公演の合間から、今年最大の自分チャレンジ。越えられるかわからない壁。シュトックハウゼンの『光の日曜日 Sonntag aus Licht』。光栄なことに、気がつけば物凄い大役をいただいていたという、とんでもない予想外の幸運が来ていたことも知らずにオファーを承諾したのが確か春頃。やたら難しいなぁと、自主練では感じてたものの、まさか暗譜じゃないよね?と甘い気持ちで取り組んでいたのが勘違い。本番2週間前に、やっぱり暗譜という指示が来て、死にもの狂いで何とか本番2日前に95%暗譜達成。でもそれ以外にも、超高音域も連発するし、50分ずーっと歌ってるし、現代音楽を覚えるの大変だし、オケ合わせ本番前2日しかないし、、、という超ギリギリな条件のなか、2日にわたる本番は、お客様と共演者、指揮者、スタッフがあそこまで喜んでくれたなら100点満点あげてもいいよ、と大大大満足に終えることができました。

そう、一体、満足って誰のためなのか?

そんな疑問も浮かびました。
自分の演奏に満足してないってことは、共演者とかお客様すら否定してしまうことになっちゃうんだ、と。
これだけたくさんの方が世界中から観にいらして、これだけたくさんの人が関わって助けてくれて、それを持って満足しなかったら寧ろバチが当たるよ、と。

満足こそ感謝なんじゃないの?と。

やっとそんな謎が解ける頃、久々に再会して一緒に録音する予定だった大好きな同僚が急逝しました。信じられず本当にショックでした。

と思えば、シュトックハウゼンのリハーサル期間にも2人の重要人物との再会が。ひとりは高校同期の画家のむっちゃんとの28年ぶりの再会。そして同じ日に、まるで天からの贈り物のように降ってきた、これからの人生を一緒に歩む人との再会。どちらも、この意味不明な文章を読んで、きっと理解してくれる似た者ワールドの人物だけど、ホント今このタイミングだから再会できたっていうほど、ピンポイントでの再会でした。どちらも、私に旅をさせてくれるような、貴重な人。私を「優しい気持ち」にしてくれる人。こんな穏やかで刺激的な気持ちなれるご縁、ずっとずっと大事にします。

12月中旬に東京に戻ってから、誕生日や別の機会で数々の再会や出会い。毎日が実ある会話を重ねることができ、本当に夢の中を生きているような日々に、これは本当に現実なんだろうか?とすら錯覚することもあります。
そのせいか、たまに揺り戻しも起きるのですが(笑)、それも自分次第で如何様にもなる技を少しずつ身につけていってるみたいです。

本当に本当に揺さぶりに揺さぶられて、年末の31日まで辿り着きました。

えらーい長い今年の自分の総括になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2024年はどんな年になるのでしょう?
私はもう怖くなくなりました。
一日一日を目一杯楽しんで、今日を終える時に「今日も良い一日だった」と言えることだけを目標にすれば、きっとどんな揺さぶられがあっても対応できるんじゃないかと思っています。

2024年はもっともっと自然に近いところに長くいて、いつも目の前がキラキラしているような時間をたくさん作りたいですね。

たぶん、信用と愛がこの世を助けます。その2つで、人間は幸せになれます。他人への信用と愛だけじゃなくて、自分への信用と愛がまず第一。そんなこと出来ないと思っても、やってみたら色々とガラッと変わってきます。魔法みたいにガラッと変わります。

あともう少しで今年も終わるけれど、2024年に多くの人が幸せで喜びに満ちた一日一日をおくれることを、本当に願っています。来年もたくさんの方にお世話になります。
どうぞ、皆様と会えることがたくさんありますように!!!!

2023年12月31日
ソプラノ
高橋美千子

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