二世議員と呼ばれたくない!
私の父は政治家でした。
区議会議員2期、都議会議員6期、衆議院議員3期の40年にわたり
政治家として活動してきた人です。
「お父さんの後援会があっていいね」
よくそう言われましたが、父は後援会組織を持っていませんでした。
いわゆる【名簿】というものも放ったらかしで、
「10年前に死んだ爺さんに郵便物を送るな!」と
連日クレームが入るような有様。
メンテナンスするほうが骨が折れると、触ることすらしませんでした。
とはいえ、1970年頃から2010年頃に江東区在住だった方のなかで、
父の知名度はかなり高いものでした。
なんせ、名前が『木村勉』
「ベン・ベン・ベン・ベン・木村ベン!」と
『星降る街角』の合いの手みたいなノリで、
当時小学生だった区内の木村さん・木村くんは
もれなく『ベン』というあだ名を付けられてしまったという気の毒な話を、ノスタルジックに皆さん話してくれます。
(古い話で申し訳ありません。最近は「純烈」さんたちも歌っているので、気になるかたは是非検索してみて下さい)
なので、初めての区議会議員選挙のときには
「木村勉の娘とポスターにかけ」「名字を高橋でなく木村にしろ」
と言われ続けます。
しかし私は二世議員と言われるのを嫌い、自民党公認も公募に応募、
選挙ポスターに「旧姓木村」と入れはしたものの、木村勉の娘ということは封印して活動を続けました。
「このままでは落選するぞ」といくら言われようとも頑として貫き、自分でも驚く2位当選。
江東区自民党50年ぶりの女性候補、
子育て真っ最中の二児の母ということを評価していただいたのだと
思いました。
しかし、議員として活動を始めると、それが大きな思い違いだったとすぐ気づかされます。
『勇気・見識・思いやり』を信条とする父の長年の実績のおかげで、
「あの人の娘なら」と信頼していただけていたのです。
ブレずに、勇気を持って、
常に学ぶ姿勢を忘れずに、
社会的に弱い人達、困っている人たちの声を十分に聞き、
そのために汗をかいて誠実にやり抜く。
それが父の政治姿勢です。
そんな父の背中をみてきたから、政治家=悪と思ったこともありませんし、
世の中の政治家のイメージとは全く違う、真面目に誠実に頑張っている、
クリーンな政治家の父が誇らしかった。
「二世議員と呼ばれたくない」
そんなつまらない意地は捨て、父のこころざしをしっかりと受け継ぎます。