日本の音大に未来はあるか ③ (深掘りLIVE #36 文字起こし記事)
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深掘りLIVE #36 日本の音大に未来はあるか? ③
深堀ライブの36個目ですね。「日本の音大に未来はあるか」のその3をやりたいと思います。
日本にはユニバーシティが存在しない?
前回、日本の音楽大学っていうのは実は国公立含めて、ユニバーシティの中に入れてもらえなかった歴史があるという、そんな話をしました。
これはこれで、その歴史をしっかり整理すれば、いろんな問題が見えてくるんですが、もう一番わかりやすく言って、やっぱり音楽学部、芸術学部、美術学部、デザイン学部、あるいはさらに言えばダンス&パフォーマンス学部などを含み込んだ、あるいは体育学部とかもそうなんですが。そうした学部・学科を持ったユニバーシティが日本には根本的に欠けているということです。
これはやっぱりグローバルスタンダードだとは私は思わないという話で、もちろんアメリカの大学を全部見たわけじゃないですが、やっぱり一つショッキングな目から鱗の経験があったので、その話を今日は一つしようと思います。
外部の壁/内部の壁
これは一つは、外部の壁なんですよね。つまり大学制度という中で、音楽という専門が日本ではどう位置づけられてきてしまったのかという話です。ユニバーシティの外に置かれてきてしまったというこのことの問題。これは外部の壁、外の壁ですね。これが一つ大きな問題としてあるということです。
もう一つは、私の中で一番思っているのは今度は、音楽の中の壁ですね、内部の壁。これもまたあるんですね。とにかく壁を立てるのが好きという気がするわけですけれども、私は壁は壊すべきだと思っているわけです。
これは、ユニバーシティの中でも壁を壊すべきだと思っているし、音大の中でも壁を壊すべきだと思っています。あるいは芸術、音楽、美術、デザインということの中でも壁を壊すべきだと私は思っているので、これがなかなか理解されないのですが、だから究極的には一学部一学科でいいというふうに思っています。
ある芸術大学が、もう美術、デザイン、音楽全部を一学部一学科にしたっていうのは、これは私は正しい選択だと思っているわけです。同じ学部・学科の中でで自由に学べるようにすればいい。ところがまだ、教育系とか子ども系とかは別学部で残している。
これは仕方がないところがあるんです。教員養成課程については、日本の文部科学省の政策がそうなっているから、学部学科としてこう作らないと許されないところがあるわけです。だからこのことが大学を非常に不自由にしているわけですが、そのことはさておき。
門外漢の政治学者の音大体験
その内部の壁の話にも今日はたどり着ければしたいと思うんですが。最初に、その私が音楽大学に、まさかの音楽大学に就職をしたわけです。30代前半の時です。まさか自分が音楽大学に勤めるなんてことは完全に想定外だったし、音楽のことも知らないし、音大っていう世界も知らなかった。
だから逆に外部の目で、まったく外様の目で、全く門外漢の感覚で、音大に関わったっていうことなんですね、私の場合。そこでいろんなことを感じるし、考えたわけです。なんでこうなんだろうっていう。音大の常識、世間の非常識っていっぱいあるわけです。
これは別に音大に限らず、どの世界でもあるんです。私は国立大学の法学部でしたけど、法学部の非常識もあるんですね。例えば、法学部の先生って意外と大学の管理職になる人が多いんですけど、つまり、そういう思考をするわけです。もともと法学部っていうのは官僚養成のために作られたっていう経緯があるわけです。
日本の帝国大学の法学部は、公務員養成のために作られたわけで、今でも法学部生っていうのは公務員になる人多いわけですが、そういう体質を持っているのはある意味当たり前のことなんです。だから法学部で通用する常識は必ずしも他の学部では通用しない。
法学部の「常識」は音大にとっての非常識だった?
ましてや音楽学部、音楽大学では全く通用しないっていうことを、私はもう就職してすぐに1年目で直面するわけです。こういう言い方をすると怒られるし失礼なんですが、「理屈」が通じないと思ったわけです。私にとっては。なんでこっちは理路整然と喋ってるつもりなのに、理屈が通じないんだろうっていうことです。
数えられないほどのエピソードがあるんですが、面白かったのは、会議の場では納得したという形になるわけです。要するに、理屈では勝てないってことなんです。後からわかったことですが、だからそれも面白くなかったわけですよね。法学部出の鼻持ちならない一番若い教員が理屈を言うわけですから。
最初にびっくりしたのは、ところが、会議の翌日にはひっくり返ってるんですよね。次の会議には、もう全然違うことになっちゃってるっていう。いや、前回の会議でこう議論してこういう結論になりましたよねって言うんだけど、いやそれは違うのと。そのときはそうだったかもしれないけど違うのとか、平気で出てきたんで、もう唖然としてしまったわけです。
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