ザッツ・マイ・ライフ

 人生の中で重要なポイントになることのひとつが、お仕事である。とても重要なことなのに、働くというか働かされているという気になってしまうというか、「働いて当たり前」というのがある。
 働くということは「拘束時間」となるわけで、一般的に会社に勤めるのは、給料をいただく代わりに、その時間は自分の時間として使えないのて、人生において重要な場面はお仕事を休まなければいけないのか、「私用」と告げて休業扱いにするにすればいいのか、わたしには分からないし、当たり前の事についてどう対応すればいいという判断材料も少ないのである。

 いろんな働き方があると言っても、それは結果論でしかないと考える。憲法で与えられている「職業選択の自由」は、たまたまその人の条件に合った労働条件だから、その会社で働くことになった場合が少なくないのではないか。今日はカレーを食べるとか、たまごかけご飯を食べるとか、うどん、そばとか、もっと気軽に選べるくらいでもいい世の中を期待するのだ。

中吊り広告のアルバイト

 わたしは過去に珍しい職業のアルバイトをした。端的に説明すると電車で見かける中吊り広告を交換するお仕事。そのことを周りの人に話すと
「手際良く作業するの大変でしょう⁉︎」
とだいたい答えられる。
 半分正解で半分は違う。その広告を短時間で交換しなければならない理由は無くもないが、何しろ電車内の全てのポスターは枚数が多すぎる。合計1,000枚のポスターがあって初めて成立するお仕事。

小田急線で・・・

 わたしが携わった私鉄の会社は小田急線のものでポスターを手配し、中吊り広告以外にもステッカー広告や、駅構内に掲出する広告を搬入し、搬送するのが「小田急エージェンシー」という会社の子会社的な「小田急不動産」という会社だった。後に小田急不動産とはほぼ無縁になるけれども。

小田急南新宿ビルで

 小田急線南新宿駅のすぐとなりにあるビルで上記のアルバイトの面接に行き、採用された。それが約18年に及ぶ長い旅の始まりだった。
初めの勤務地は神奈川県の江ノ島。江ノ島といえば日本の中でも有名な観光地である。全長は僅か1.2キロメートル。まさに巨大な島という印象が強い。およそ390メートルの長い橋を渡って島にたどり着くと、急な斜面の奥に向かって伸びる道と、島の平坦なところに敷かれた道が目前にあり、まるで異世界なのだ。しかもそこに開かれているお店は、どれも古くは江戸時代を彷彿とさせるタイムスリップ感のあるお店ばかりなのだ。その道の中央には江ノ島神社に向かわせてくれる大きな鳥居が立っており、まるで現在の日本と違う思いに襲われるのだ。

 有名な観光地なので、夏はたくさんの人で溢れる。お客さまが電車に乗っているところを作業しなくてはいけないという、世の中の矛盾を身をもって体感した初めての出来事だった。

            次回に続く

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