クビーの『グローバル性革命』⑷

●「新しい全体主義

 性的規制基準の撤廃は、統制不可能な性欲の前 提条件として、個人と家族、社会全体を精神的・社会的混乱に陥れる。 貧困と 道徳の喪失は、全体主義的権力の出現を可能にする危険な混合物である。 今後の 21 世紀の新たな全体主義は、20 世紀とは全く別の服を 着ている。 口ひげもなく、革ブーツを履かず、人々が気づかない間に近づいて いるのである。 その理由は、この時代の人々は、すべての領域で、様々な形で 生成される悪は決して見えず、過去の先祖が犯した罪だけを指摘し、徐々に良心 が鈍化しているからである。
 新しい全体主義は融通性があり、今日流行している価値観によく適応するこ とができる。 さらに、それは自由のマントを身に着け、少しずつ段階的にその 自由に必要な条件を破壊してしまう。この全体主義は、新しいコミュニケーショ ンの方法に精通しており、科学技術を監視し、自分が意図する完全な統制のため の可能性を向上させる。 それはすべての真理を偽りに作り替え、すべての偽り に一握りの真実を入れて、混合し、歪曲させ、真理自体が疑われ自由が完全に縮 小されるまで人々が真理と偽りを区別することができなくしてしまう。
 世論の 波が後を追って非常に強大になり、それ以上、自分の考えさえも信じることがで きなくなると、人々は喜んで自分の考えを主流イデオロギーに置き換える。 こ れらのイデオロギーは、人間の存在の本質的な養成の体系を否定するのと同じ ように自分の目で見て経験したことも偽りであると強弁する。 知的自由の領域と真理の探求は理念によって中毒になり毒殺されてしまっ た。 現実には、善のように見える政治権力のための理念に閉じ込められてしま い、結果が嘘や詐欺、操作など、あらゆる手段を正当化する。

マルクス主義・女性運動と「文化革命

 最初は単純に若 干の意図的な改ざんで始まったことが、後には人間への暴力と化す。 カール・ マルクスが自分の書斎で資本論を書いている間に、彼は誰も殺さなかった。 し かし、それから一世紀も経たないうちに、すべての権力をつかみ取ろうと犯罪組 織の口実に過ぎないユートピアのために数千万の人々が虐殺されてしまった。
 マルクス主義は、労働者階級の問題を解決してくれることを約束しながら始 まり、女性運動は、女性たちに男性と同等の権利を与えるために始まった。この 二つの運動の目的は、民衆の苦難に基づいていた。しかし、今日の文化革命は、 上から下へ伝播されるトップダウン革命である。 これは人口の中で多数の数字 を占めている抑圧された階層に属する人々の状況を改善するためのものではな く、少数の人々の意思に沿って、人間の新しい概念を注入して、社会全体を変化 させようとするものである。
 全体主義的権力体制で少数者独裁がより強固になって、 取り返しのつかない変化が起こる前に、非常に上品な価値を追求し、多数の利益 のためのように偽装しているイデオロギー的な偽善を必ず防がなければならな い。 今日にはマルクス主義が持っていたのと同じ現実の解釈に基づく同一なるイ デオロギーのようなものはないようである。 これで、各個人は、自分の存在、 ジェンダー、道徳的価値を解釈することができる完全な自由が与えられた。  し かし、人間の存在自体のために必要なことを否定する自由は、他のすべてのイデ オロギーと同じように、結局、人間に背を向けるようになっている。 性と権力の乱用 性の観点から、真理と責任をから離れた自由がどのようにして全体主義社会 に堕落してしまうのかをより詳しく見てみよう。

神聖不可侵な人間の尊厳性

 もし性的行動が快楽の追求だ けに縮小すれば、これ以上の妊娠と生命の出産というダイナミックなサイクル 中に統合されない。 そうなれば、人類は過去と未来の連続線上で居場所を見つ けられず、自分の小さな自我に閉じ込められ、自ら消滅を迎えることになる。 性が単なる快楽の道具であるだけで極めて些細なものにしてしまうと、性的 対象はいつのまにか客体となってしまう。性的快楽のために他人を利用し始め ると、その他者は、初めは感じることができなくても、最終的には自分の人間的 な尊厳を奪われることになる。
 実際に、人間が持つ神聖不可侵な尊厳性という概 念は、人権の基本的な概念であり、民主国家の憲法は、このような、キリスト教 的人間観に基づいている。 聖書的な啓示によると、人間は「神のかたち」に似せて造られ、神のために男 と女に創造された。人間は死ぬ肉体と死なない魂で構成されており、自分自身と 神について認識することができる霊を持っている。各個人は特別であり、全宇宙 において唯一無二な存在である。 そして、このような人間の個人的な愛と生活 の開放に立脚した性的行為によってのみ、人間の尊厳性と独特性を正当化する ことができる。
 従って、お互いが自分を超えて超越的一致を達成する特 別な存在として認識しなければならない。 その二人は永遠の二人の男女の結合 で具体化される新しい人間のための共同創作者となる。 人間の尊厳性を傷つ け、深い愛の結合という欲求を満たすことができない相互間の性的搾取のため に発生する失望と空虚、悲惨さ、もどかしさを通してこのようなことを知る。し かし、時間が経つにつれ、肉体的快楽が心から分離されると、このような激しい 痛みの感じも鈍化される。
 また、肉体的快楽の経験が個人的な愛として得るこ とができる実質的な一致感に対する熱望を満たすことができなくなると、ずっ と新しいパートナーとのより強烈な性的刺激を求め、結局、性依存症に陥ったり、 性犯罪をしたりすることになる。 もし誰かが他人の存在の最も深い領域を搾取することができれば、何が自分 の利己的な満足のために他人を搾取しようとする他の欲求から彼を守ることが できる?

●「道徳的な羅針盤」の崩壊

 自分の最も深い内面を他人の搾取の対象に許容した人は、自分よりも 強い人がどこでも自分の領域を侵害する場合は、どこで自分の尊厳性を守る力 を発揮することができるのか? 社会のすべての領域の衝動から身を守るのは 難しいことである。 しかし、一つの社会の道徳的な羅針盤が壊れ、善を悪とし て悪を善と強弁するとき、民主主義社会の市民投票者のための強固な日常の指 針が消えて、新しい道徳の本質がなくなるとき、また、統治者たちが公共の善を 守る義務がなくなるとき、この社会は、新しい全体主義の奈落に落ちる道に立つ ようになる。 根本を失った人は、魅惑する人を預言者であると思うような間違いを犯して、 もはや真と偽を区別することができず、無制限的な操作技術によって無期限に 操作されるしかない。
 自由な世俗的な国家は自ら保証することはできない家庭に従って生きている。 それは自由のために始まる大きな危険である。 一方で、自由なる国家として世 俗的な国は、市民に与えられた自由が、個人の道徳的性質や社会の同質性を通し て内部から統制される場合にのみ、存続することができる。 しかし、その一方 で、世俗的な国家自体内では、このような内的統制力を保障することができない。 法的強制力や権威主義的命令で保障しようと努めても。 自由主義を放棄するこ となく、世俗的なレベルで全体主義に逆戻りするのは、国家が宗教的内戦状態で 自由になることを要求する。

世界の秩序の転覆を目指す「文化革命」

 文化革命は人々の後ろで知らない間に上から下に行われる方式で ある。 これは、核心的な権力層から広がって出て、自分が性的指向における少 数者だと思っている人によって推進されて、世界の秩序を転覆させようとして いる。 確かに価値の変化は、世界秩序の変化をもたらすことができ、その変化 が全世界的であるため、彼らの究極的な目標も新たなグローバル秩序の変化と いうことを予期することができる。 根本を失い、依存的で、可変的な大衆は、この新しい世界的な救援者を賛美す ることだろう。
 私たちの時代の文化革命は、益々、個人の自由を制限し、個人 に対する国家の支配を拡張させ、国家に対する国際機関の支配を拡大させるで あろう。 このようなことが世界的な金融財閥の支援を受けて道徳的な秩序を覆 すために行われている。 私たちは、このような新しい荷物を背負い、水面上に 浮かぶ巨大な危機の中へと走っている。 その中の死のように確実なものが記念 碑的な人口統計学的変化である。 

社会の崩壊を防ぐために必ず成し遂げなければならないこと 

 私たちの社会の基礎が崩れるのを防ぐために何らかの変化が開始 されるとしたら、以下の目標は、絶対的に必ず成し遂げなければならないことであ る。
・性主流化の代わりに家族主流化の推進 ・結婚は一人の男性と一人の女性の間においてのみ行われるようにすること。
・自分の生物学的父親や母親を持つことができる子どもの権利を法的に保証す ること・ ・学校での義務的かつ「包括的な性教育」を通じた青少年の性愛化を防ぐこと。
・ポルノの拡散を防ぐための、国内外的なキャンペーンを繰り広げること。 ・妊娠した瞬間から自然死する瞬間までの生命権を保護すること。
   今、これまでの邪悪な沈黙の輪を引っぱる時間が熟した。 私たちが待てば、待 つほど、より多くの対価を支払わなければならない。 全世界的に生命と家族の ためのこの文化戦争に参加しようとする新たな動きが起きている。 

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