見出し画像

役者デビュー(なんちゃって)

大河津分水路通水100周年を迎える本年、平和に暮らしている私たちにとっては想像もできない災害が、蒲原平野では毎年のように起こっていた。

水害である。蒲原平野は河川よりも低い。平地は常々氾濫し、当然ながら水引も悪い。

その後、数々の工事が行われる中、堤防の整備も行われた。しかしながら、明治29年に大氾濫を起こし破堤する。それが俗に言う「横田切れ」と歴史的に呼ばれる大洪水である。

それまで大河津分水工事は行われてきてはいたが、様々な理由があって一時中断。横田切れを経験し、堤防の安全性すら疑問視され始めた。

しかしながら最新の掘削機を用いた改良案が浮上する。その後、紆余曲折ありながらも、第二期大河津分水工事に突入することになる。

その紆余曲折とは。

当時の政府が国費として分水工事を決定。しかしながら相当な巨額である分水工事に予算が投入されることにより、当時の新潟県議会は、他の道路や港湾などの工事が停滞することを懸念。

山派と川派と県議会議員は真っ二つに割れた。

と、走り走り、超簡単に説明したが、当時の大河津分水を巡る新潟県議会の大混乱をドキュメンタリードラマとして撮影するという企画で撮影が、県政記念館で行われた。

現役の県議が当時の県議の役を務めるという、かなり強引な企画でもある。

私が演じたのは石坂平八郎さんという北魚沼の県議である。

セリフも、そこそこある。
当然であるが、私とは縁もゆかりもない方である。

明治の県議には、かなり無理がある気がする。

ちなみに佐藤議長からは、着流しを着た遊び人呼ばわりされた。

仕方ない。なぜか私は昔からそういったイメージがあるのか、事あるごとに似たようなことを言われる。


話は戻るが、当時の県会では分水工事の中止と継続とで分裂し、大混乱。

そして時は明治35年12月9日
新潟県議会は不穏な空気につつまれつつあった。
当時の「新潟新聞」の記事には

「払暁より信濃川沿岸の農民等は草鞋脚絆を穿ち握飯を腰に下げつつ押し寄せてきたり。宛然百姓一揆の如き後継を呈し不穏な形勢にあり」

議場には数十人の警察官が警戒にあたる。
議事に入り、反対派・賛成派の討論。互いの野次が激しく乱れ飛ぶ。

大混乱になった中、山派の議員が演説を始めたところで、暴漢(工事継続を願う農民たち)が乱入。演説をしている議員を取り囲む。

これを契機に両派入り乱れての大乱闘と発展。中には羽織を切られる者、頬から流血する者もいた。当時の新聞も大変な大乱闘であったことが記載されている。

その数日後、いよいよ採決では、無記名投票にて25対15で可決となる。

と、大河津分水工事を巡る騒動、新潟県議会の歴史を遡るという、このような流れのドキュメンタリードラマとなっている。

放送されるかどうかは、まだ未定のようであるが、恥ずかしくない程度に放送されることを祈っている。

真ん中の河原井議員が主役みたいだが、決してそうではない。
(参加した県議会議員で記念撮影)

とにかく寒い一日であったが、貴重な経験をすることができた。
新潟県並びに新潟県議会の歴史を深く学ぶ一日でもあった。