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hang over

ハングオーバーという映画を知っているだろうか。

かいつまんで説明すると、「昔からの仲間の一人が結婚式を挙げるために、仲間で久しぶりに集まる。前祝い的な感じで祝杯を交わす。翌朝、身の回りがメチャクチャで、マジで大変なことになっている状況を、全く記憶のない男たちが記憶をたどりながら、無事に結婚式を迎えられるのか!」

といった感じのストーリーである。

昔からの仲間の友情というか、いくつになっても子供というか、子供のまま大人になってタガが外れると、こうなるという見本のような映画である。てか、ありえない出来事ばかりではあるが。

すごく面白いので、機会があれば是非見て欲しいと思う。


この数か月、仲間と集まって酒を飲むことがなかった。

というよりは、自身で控えていたというか、周囲が忙しいと思って遠慮していたというか。

常に「元気かな」とか「何してるろっか」と思い出してはいたが、自身が確かに忙しかったことや、忙しいが故に精神的な余裕がなかったのは事実であったので、そんな時に集まって酒を飲まないで正解だったのだろう。

私の仕事のミッションが、ある程度コンプリートされたので、先日、仲間たちと久しぶりに酒を飲んだ。季節は夏。夏と言えば海。海なら浜茶屋(海の家)。遊ぶときは全力で昼間から。

というルールがあるため、年齢を忘れ、仕事も忘れ、財布の中身がいくら入っているかも忘れ、ルールに則り酒を飲んだ。


海はいい。

自分がどこにいるのか、何を悩んでいたのか、毎晩、何のストレスがあって歯ぎしりしながら寝ているのかすらも、分からなくなるほど、海は広く大きい。

広く大きいが故に、比例して気も大きくなる。酒を飲むとさらに海のように広く大きくなる。いや、むしろ俺は海になりたいのかと錯覚してしまうほど。

そして、一緒に飲んでいる仲間たちも同じように、その錯覚に陥っていく。メチャクチャ楽しいじゃないか。海のハニートラップだ。

いつもなのだが、昼から飲んでいるのに、楽しい時間は夜まで続く。


後悔は必ず次の日に訪れる。

これまでの人生、何度も経験をしてきたにも関わらず、必ず後悔は次の日にやってくるのだ。まず記憶がない。

記憶がないという恐怖との闘いが始まる。

記憶がないほど酔って家に帰ってきたはずなのに、俺は次の日に着るスーツとシャツの準備をしている。寝る前に必ず行うフロスと歯磨きをした形跡もある。洗濯物も洗濯機に入れてある。

これも恐怖のひとつだ。

「昨日、俺、大丈夫だったか?」

一緒にいた仲間に連絡を取る。返事はいつも「俺も覚えていない」である。

私も今年で52歳。もう十分すぎるくらい大人である。いや、初老である。しかしながら、最近思うのは、年を追うごとに翌日に、まるで「燃えないゴミ」のように不安を感じるのは何故なんだ。と。

それはストレスが原因でもなく、体力が低下したせいでもない。むしろ、そんなものの責任にはしたくない。

思うに、会う機会が減った分、久しぶりに仲間と遊ぶと、楽しくてしょうがないんだろう。それが自身の活力にもなっているのかもしれないし、得体の知れないストレスの解消にもなっているのかもしれない。

様々なリスクがあるにしろ、ありがたい話ではないのか。

私と遊んでくれる仲間に感謝しつつ、「理性」も「財布の中身」も失わない程度に、これからも適度なハングオーバーをしていきたいと、うつむきながら思うのだった。