見出し画像

真逆に生きる決心

母からの不意の電話。

あんた、いつ離婚したんだっけ?と怒鳴り口調であった。私が元・夫と離婚してからは幾歳月も経っている。「だいぶ前のことだよ」と静かに答えた。こういう時は冷静になったもん勝ちだと判断して答えたのだ。

だからァ離婚してどれくらいだって言ってんのよ!と母の怒鳴り口調は勢いを増した。「10年以上が経ったわ」と答えたら母は少し沈黙したあと、怒鳴り声がまた響いた。なんで離婚なんてしたのよー、と。

私はこの時点で「あれ?」と思った。元・夫が私に隠れて作った多額の借金と暴力のゆえの離婚だったが、そのことは再三にわたって母には話していたからだ。あんなに説明したことを再確認したいための怒鳴りなのか?いったいなんの電話なのか。離婚理由を私が嘘をついていると母は叫ぶ。

そしてそのあと、低い低い声で今現在の私の恋人Kさんとはどこでどのように知り合ったのかを尋問してきた。
この時点で私は81歳の母の認知機能が正常ではないことを確信してしまった。つまりボケが生じているのだ、と。

なぜならば、Kさんとの出逢いについては幾度も話してきたことだ。そればかりではない。交際の当初から彼は母に自己紹介と挨拶をしたし、彼と母は何度も顔を合わせている。母とKさんはふたりで食事をしたりもする間柄なのだ。彼、Kさんは田舎から出て来た私の母のために仕事の有給休暇を取ってまで料亭に案内し誠実を尽くしてくれたのだ。(このとき私は持病が悪化して寝込んでいたので彼が応対してくれたのだった)

今になって10年以上前の私の離婚理由を問い詰め怒鳴ったり、現在の私の恋人であるKさんについてとやかく言うなんて、しかも怒鳴ったり叫んだりしながらの電話だなんて。

電話の内容はそれにとどまらなかった。母は自分への恩はないのかと私に怒鳴り散らしたりと散々な内容の電話。(私は祖母に育てられた)
 
「お母さん、落ち着いてね」と電話越しに私はさっき以上の冷静さを保つ努力をした。認知機能が低下した母。私の長年の、いや、幼いころからの願いは、もう叶うことがないのだとひと筋の望みも絶たれた気持ちになった。
 
きょうの記事は、前置きだけが長くなってしまった。なにを書きたかったのかというならば、私は母のみにとどまらず両親に愛されないで育った。(父は86歳、介護施設に入所中)

以前にいつかの記事で記したが、私は両親に少しでも愛されたかった。父が介護施設に入ったので、父からの愛情は、もう得られることはない。わずかな希望を母に求めた。愛されたい、と。しかし、その母も認知機能が衰え、いまや、私に暴言を吐く有様だ。愛情を得られないまま、父も母も別世界の人になってしまった。「ご両親とも、まだ生きているだけいいじゃないの」と他者からは言われてしまいそうだが、愛情を知らずに育ったということの哀しさは、はかり知れない。

いつかは愛されたいと望みながら、それを得られないまま”別世界”の住人(認知機能の低下を迎えた人)になってしまった父と母に、もはや、ふつうの愛を求めることはできない。愛されることなくまもなく終焉を迎えようとしている。

ご存知のように私は離婚後からずっと身体の闘病中である。いつ命が尽きるかわからない。あるいは予想以上に長く生きるかもしれないかもしれない。いずれにしても残された時間、私は両親とは真逆な『愛の人』で在りたい。私の一人息子は消息不明になってしまったので、その分もふくめて誰に対しても愛を示す母性あふれる女性でいよう、と決心をした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?