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新しい関係

半月ほど前のこととなるが「父の日」に施設に電話をした。
施設というのは、一年前から父が入所している認知症介護施設だ。

現在は地元ではないところで暮らしている私は、父の面会に行くことができない。というのか、闘病中の私には、もう、ふるさとに帰省する体力すらも残っていない。そんなわけで「父の日」だからといって面会に行くことなどできないので、父が入所している施設へと電話をしたのだ。

しかし、この電話一本をするにも、私の心の内には葛藤があった。両親とは折り合い悪く育った。愛されることのないまま今に至るといっても過言ではない。両親……父に関してはほとんど何も良い思い出もない。愛されなかったので当然のように父を愛することができずにいた。

「不細工な娘」「不出来な娘」「馬鹿娘」と、ダメ娘のレッテルを貼られてきた。父の機嫌次第で怒鳴られることなど常だった。

なので、「父の日」と言われても、毎年、特に感謝をしようと思ったことなどなかった。

そして、今年も「父の日」は、やって来た。今まで、父に対して自分からは話しかけようとも思わなかったというのに、認知症介護施設に入所してから「初めての父の日」を迎える様子を私は想像した。孤独に過ごしているかもしれないと想像した。

父から愛されることのないままにここまできた私だが、孤独に過ごしているだろうことを思うと、さすがに心が動いた。電話をしてみようと決心した。

施設内では携帯電話は禁止されているらしいので、直接、施設事務所に電話をすると、スタッフの人が父に取り次いでくれた。

「はいよ、もしもし」と電話口に出た父は、私が名前を名乗っても、もはや理解できない様子だった。私はゆっくりと大きな声で言い直した「娘だよ。おとうさんの娘だよ、わたし」

すこしの間があったのちに、父は「ああ、娘だったか!こりゃあ驚いた。何の用だ」

「父の日だから電話してみたの」と私は答えた。
「おおお、ありがたいねえ、なに?俺の娘なのか、ほんとか」

この瞬間、私の内にあった父への憎しみにも似たわだかまりは不思議にもスーッと消えて行った。私の事を認識できない父。記憶の彼方をたどって「俺の娘なのか」と言う父。すっかりと認知症が進んだ父。

父に対して私は一人相撲を続けていたのだと気づいた。2~3分の時間、父と会話をした。

憎しみにも似たわだかまりを持つのは、もう、ここまでにしよう。私のことを認識できなかった父は、今までにどれだけ私を傷つけてきたのかも、憶えてはいないのだろう。もう選択肢は、ここまでのことを赦すしかない気さえした。

闘病中の私と認知症の父。「新しい関係」が始まった。

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