見出し画像

世の中に違和感を放り込む

いつもお世話になっている方も、お久しぶりの方も、初めましての方も、こんばんは。くうがです。

久しぶりのnote投稿なのですが、この怒涛の8月9月を終えて、「言葉にする」ことがどれだけ偉大なのか、を感じたので、勢いのままに、いま感じていることを描いてみることにしました。

MOKUMOKU
PLAY CITY! DAYS 2022
鹿児島市課題解決型インターンシップ
かごしま1.5℃ライフスタイルワークショップ
#わたしはわたし
リトラボ セイルミーティング
リノベーションまちづくりサミット沼津の登壇

ほかにも、hataoriやironowaの1day mtgなどなど、ワークショップにイベント、登壇、ライブ配信、終日mtgなど含めると2ヶ月で30日間…!!

こんなにたくさんワークショップしたのも、ファシリテーションしたのも生まれて初めて。笑
もちろん、大変な時間も多いですが、どのワークショップもかけがえのない、大切な場です。

振り返って気づいたことは、ライフデザインやシティプロモーション、まちづくり、環境、ジェンダー平等、離島などテーマは様々ですが、すべてのプログラムは「鹿児島や地球の未来を想い、私たち自身の手でつくっていこう」という意図を込めていたこと。未来をつくることに貢献したいという想いが、無意識のうちに企画に反映されていたんだなあと。

地域でやることの一つの醍醐味は「手触り感」だよね、という話をどこかでしました。自分たちの生活が、意識が、行動が、まちに直結することが、この暮らしを選んでいる一つの理由だと、いまは確信しています。

そして、この2ヶ月で、「Z世代」とか「まちづくり」というキーワードで登壇する機会を数回いただきました。

その言葉で括られたくない、括るべきではない、という話には共感なのですが、とはいえ、何かを言葉にする、ということは、リスクがあると同時に、やはり大切だと強く感じる夏でした。世の中に違和感を放り込むという役割はとても貴重で、偉大なのだと。

ここでいう「世の中」とは、広く社会全体だったり、自治体の枠組みだったり、所属しているコミュニティ(会社や学校、サークルなど)だったりもします。
「違和感」も様々な意味があります。それは結果として共感を生む場合もありますし、問いを巻き起こす場合も。そこに今までになかったもの=違和感として捉えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?