中年おばさんの奮闘記 in デンマーク!18

 

自分で決めたビジネスルール!

 長い苦悶生活からようやく脱出した私は、相変わらずデンマーク語の勉強と日本人補習校の仕事に苦戦はしていたものの、以前みたいにずーっと気持ちが落ち込んでいることはなくなった。そのため心に余裕が生まれ、デンマークでの今後の生活を徐々に考えるようになった。
 さらに、この頃になるとエミールは近所の小学校で週に数日、勤務が出来るようになるまで体調が回復していた。ゆっくりだが、私達夫婦はそれぞれの問題を乗り越え、少しずつ前向きに歩き始めた。

 当時の私たちの家計は、エミールと私のパートタイムの給料で何とか生活は出来てはいたものの、私はもう少し自分が好きな物を買える自由なお金が欲しかった。私の収入が少ない時は、エミールが生活費などを支払ってくれていたが、彼のお金で買い物をすると、遠慮して自分の欲しい物を買えない。私が欲しい物といえば、日本の調味料や食品なのだが、デンマークでそれらを手に入れようとしたら、日本で買う3倍以上の値段はする。なので私は、欲しい日本の調味料がいくつかあっても、今月は醤油だけ!来月はマヨネーズだけ!等と買う物は月1点と決め、購入した調味料は残りの1滴まで大切に使用した。自分が欲しい調味料を堂々と買うためにも、仕事をしお金を得ることが必要だと当時の私はヒシヒシと感じた。そこで、私にでも出来そうな仕事を探し問い合わせてみたものの、デンマーク語が出来ない、英語もビジネスレベルには到底届かない私に職を見つけることは困難だった。ただ、私はこの現実に落胆することは全くなかった。それどころか「やっぱり、デンマークで仕事を見つけることは難しいよね!しょうがない、移住前から計画していたフードビジネスを実行するしかないか!」と考えた。こう考え始めると、フードビジネスで成功した姿だけが思い浮び、私は一人で勝手に盛り上がりワクワクした。この妄想時間は私にとって非常に楽しいものだったが、現実の私はフードビジネスについて全く何も知らないのである。「まぁ、何とかなるさ!」何故かこの時の私には根拠のない自信だけがあった。

 フードビジネスについて右も左も全くわからない私が最初に思いついたことは、「1週間に1回ビジネスのことについて何か行動する!」ということだった。その頃、私は週3回の語学学校と毎週日曜日の日本人補習校での勤務があり、さらにまだ幼い子供の育児もあったので1週間に1回なら無理をせずにビジネスについて何か行動ができるのではないかと考えたのである。
 私は早速、何について調べようかと考えたが、元々思考回路が単純なのですぐに「お店を借りるお金は無いから、フードバイクで食べ物を売るのはどうだろ?まずは中古のフードバイクの値段を調べてみよう!」と思いついた。しかし、どこでどうやったら中古のフードバイクの情報を調べられるんだろ?ネット検索するにも、デンマーク語で何と検索したら良いのかわからないのである。私の場合、言語の問題があるので、自分が調べたい情報に辿り着くにはどうしても時間がかかってしまう。これはしょうがない、エミールが帰宅するのを待とう!エミールが帰宅するまでの間、私の妄想は止まらず、フードバイクで何を売ったら良いのかネットで検索しては、自分が売っている姿を思い浮かべワクワクしていた。
 エミールが帰宅した後、早速私は彼にフードビジネスのことについて話した。興奮している私に対して、彼はとても冷静に「ミノは、ビジネスをするリスクを理解しているのか?」「フードビジネスはライバル店が多いから、そんなに簡単に出来ることじゃない。」「フードビジネスの経験がないのに、いきなり一人で始められるのか?」等々、ごもっともな意見を言った。確かに彼の意見は正しいのである。間違ったことは何一つ言っていない。何も言い返せない私は速攻撃沈されてしまった。しかし、数カ月前の私なら否定されると、「やっぱり私は駄目なのか」と深く傷ついていたが、元々私には自分にとって都合の悪い意見は右から左へ聞き流す才能があった。この時エミールが私のために言ってくれた言葉は殆ど覚えていないが、一通り彼が話した後、何とか頼んで中古のフードバイクの検索方法だけ教えてもらったことだけは覚えている。
 どうやら私は、新しい分野に興味を持ったことで、本来の自分らしさを取り戻しつつあるようであった。

 子供を寝かせてた後、早速教えてもらったサイトで中古のフードバイクを調べてみた。そこにはテーブルや携帯等たくさんの中古品が記載されており、その中にフードバイクも販売されていた。値段はピンからキリまであり、一番安いフードバイクなら10000kr(当時18万円くらい)で販売されていた。私は自分の貯金で買えないことはないことがわかり、テンションが上がった。さらに先ほど自分で決めたルール「1週間に1度、フードビジネスのことについて何か行動する!」ことも達成出来た。とても簡単なミッションだったが、私の心は達成感で満たされた。この日私は久しぶりに心が満たされたまま眠りについた。

 語学学校に再び通い始めた頃、私はデンマーク語の授業で先生が何を言っているのか全く理解出来ていなかったので、language exchange パートナーを探していた。すると、ちょうど日本人とのlanguage exchange パートナーを探しているデンマーク人がいることを人伝えに聞き、早速そのデンマーク人を紹介してもらった。そこで出会ったのがヤコブさんである。 彼は日本語を流暢に話し、デンマーク語を教えるのがとても上手だった。私は週に1度彼にデンマークの語学学校でわからなかった箇所や、宿題を教えてもらうことになり、その合間に私たちは日本語で雑談をした。
 ある日、いつもの通りヤコブさんにデンマーク語の勉強を一通り教えてもらった後、雑談となった。その時、ふと私は彼にフードビジネスに興味があることを話した。すると、彼は「こんなのがあるよ」と言い、"STARTVÆKST Aarhus" というサイトを教えてくれた。それは、起業したい人のために無料講座や相談所が定期的に設けているサイトだった。
私は「すごい!こんなのがあるんだ!でも、何で無料なの?」とヤコブさんに聞いた。すると彼は、「オーフス市は起業したい人をサポートすることに力を入れているから」と言った。「なんて素晴らしい市なんだろう!」私は早速そのサイトに記載されていた情報をチェックし、わからない文章はヤコブさんに通訳してもらった。すると、起業手順を一通り教えてくれる "Startup meeting"という無料講座が開催されることがわかった。しかも、ちょうど来月英語版の講座があることがわかった。私は、自分の英語レベルにかなりの不安はあったものの、とにかく参加してみようと決心した。
 この日は、STARTVÆKST Aarhus について知ることが出来た。今週もビジネスのことについて何か一つ行動したので、私は再び達成感を感じてその日も眠りについた。

 自分で決めた "1週間に1度ビジネスのことについて何か行動する!" というルールは、今まで何事も長続きすることがなかった私には珍しく継続していた。継続出来ていた最大の理由は1週間に1度という少ない設定回数と、何でもビジネスの事に繋げてOK!という自分にとてつもなく甘いルールにしたことだったと思う。
 例えば、子供たちが病気になったり、デンマーク語の試験で忙しかったり、なんとなくやる気の出ない週は夕食に焼きそばやサンドイッチを作り、今週はフードバイクの試作品を作った!と無理やりビジネスのことについて行動したことにした。もちろん自分で自分を誤魔化している感じは拭えないが、とにかく毎週自分が決めたルールを継続していることが当時の私には重要だった。
 
 世の中とは、自分の行動が変われば、入ってくる情報も変わってくるものなのだろうか? 自分のビジネスルールを確実に(!?)実行していた私に、日本人補習学校の幼稚部のお母さんの一人から、”ビジネスに興味があるお母さん達が集まってお話しませんか?”という誘いを受けた。私は「うぁ~!めちゃくちゃ参加したい!」と思ったが、私の日本人補習校での被害妄想の波はまだ完全に収まっているわけではなかった。なのでこの時の私にとって、日本人のお母さん達に囲まれるのことはかなり勇気のいることだった。しかし、何か新しい情報を得ることが出来るかもしれないし、もしかしたら日本人のお母さん達と仲良くなれるチャンスかもしれない!という期待を持ち、私はその会議に参加した。
 そこには、日本人のお母さんたちが5,6人参加しており、殆どの人が私と同じように専業主婦としてデンマークに在住しているお母さん達だった。まさか、この中に将来私のビジネスパートナーになる、あーちゃんとゆうこさんも参加していたことは、この時の私は知る由もない。
彼女たちは、それぞれ冗談を交えながら自分たちがやりたいことをイキイキと話していた。その姿は、自分達も何かに挑戦してみたいという好奇心に満ち溢れていた。私はこの時、デンマークで何か仕事をしたいと思っているのは私一人だけではないことに気が付いた。そして、私も彼女たちに負けないように、自分のやりたいことを一生懸命話した。そのうち私たちはビジネスの話だけではなく、子育てについても話し始めた、その時一人のお母さんが「うちの子にそろばんを習わせたいんだよね」と言った。そこで私は「私そろばん習ってたよ。段持ってるよ。」と言ったら、「え!?そうなの!すごいじゃん!ミノさん、デンマークでそろばんを広めたら?」と言われた。確かに30年以上たった今でも、買い物している時などちょっとした計算は頭の中で計算が出来るのでそろばんは便利である。そして、今まで塾の講師として算数を指導してきた経験上、算数が嫌いな子はたいがい計算が嫌いなことも知っている。この時私は「そろばん、確かに良いかも!?」と思った。
 私達のおしゃべりは一秒たりとも止まらず、あっという間に3,4時間が過ぎた。時間が経過すると共に、いつの間にか私の被害妄想の波もだんだん静まっていった。夕食前に解散となった時には、みんな「おしゃべりをし過ぎて喉が痛い!」と言っていた。
 帰宅途中、私は「今日のミーティング楽しかった~!」と思っている自分に気が付いた。そして、「何だ!お母さん達、楽しくて良い人ばかりじゃない!今日のミーティングに参加して本当に良かった~!」と心から思った。
 その後も何度か、お母さんたちのビジネスミーティングが開かれた。その度に「今回もおしゃべり楽しかった~!」と思った。そのうちミーティングに参加した人達とグループチャットでビジネスのアイディアや情報のやり取りをするようになった。それと同時に私の日本人補習校での被害妄想の津波は完全に消え去った。

最愛なる子供たちへ

 あなた達が大きくなった時、何かに興味をもったり、やりたいことを見つけたら、小さいことでも良いので何か行動するのと同時に、恥ずかしがらずに色んな人に自分のやりたいことを話してみてください。
当たり前ですが、自分のやりたいことを誰にも言わず、ずーっと一人で黙々と行動するのと、誰かに話して賛同してくれる人やサポートしてくれる人達と何か行動するのでは、出来ることが雲泥の差ほど広がります。
 いつの時代も、何歳になっても、仲間ってなかなか良いものですよ!



 
 

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