死にたいとか、生きたいとか。

私は元来メンヘラである。
というのも、中学の頃に厨二病を拗らせたことから始まると思っている。
毎日がストレスだった。
学校へ行くこと、挨拶をしても返してもらえない日々、グループ決めでは毎度余ってしまうこと、頑張っても伸びない成績。
何もかもが嫌だった。
死にたいとは違う。
自分の存在を、元々なかったことにしたい。
誰も傷つけず(傷つく人がいるのかも分からなかったが)消えてしまいたかった。

そのうちに、嫌なことがあると自分の肌に爪をたてるようになった。バレないよう、静かに。
授業中、どうせ聞いていても身につかないと諦め、
カッターやハサミで爪に傷をつけた。血が出た時は周りに見つからないようティッシュでくるんだ。
誰にでもある思春期の悩みかもしれない。
ただそれが私には耐え難く辛かった。
個人差の範囲であると思う。

本格的にメンヘラになった、というか

ネガティヴになったのは
親友が亡くなってからのことだと記憶している。
自殺だった。驚いた。
私とは違い、友達も彼氏もいて充実しているように見えていた。
私の目には、親友は憧れの存在で、仲良くいられることが嬉しくて、楽しく生きている存在、そう映っていた。
実際のところは違ったのだろう。
家族に、彼氏に、友達に、私に、
関わる人全員にそう見せることは苦痛を伴うのだろう。
楽しい、嬉しい、可愛い、カッコいい、憧れ、尊敬...
そんな思い出を残して、彼女は突然居なくなった。
悲しかった。私の方が価値がないのに。
私がいなくなって、彼女が生きていればいい。
何故相談してくれなかったのかと悔やんだ。
落ち着いてから私が思ったのは、私が彼女の人格を尊敬することで、理想化することで
彼女は居場所を無くしていったのだろうということ。
周りに理想化され、素敵な人間とされるうち
弱みを見せることができなくなっていたのだろう。
彼女は正確には自殺未遂で、しばらく生きていた。
その間は学校で、休み時間も授業中も鶴を折っていた。何かの力になれると思ったのかもしれないし、そうやって彼女のために何かすることで安心していた部分もある。
彼女がいなくなったあと、私はショックから、しばらく学校へ行けなかった。

死ぬことが人生の選択肢に入ったのはこの頃だと思う。
ただ、人が1人いなくなることで周りに与える感情も理解している。
悲しみ、辛さ、後悔、、
そんなものは大切な人たちに与えたくないので、生きている。ただそれだけ。

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