切実に友達が欲しい:23/02/18

俺にゃ友達がいねんだワ 

人生の中で一番利用時間の長いSNSであるTwitterにはフォロワーが360と表示されているが、恐らくそのうち9割はどこからか飛んできたスケベなコンテンツを見せたがる女子大生と名乗るろくでもねぇ釣りアカウント。
残りの1割は話したことも無いであろう物好き。

現実世界にはかろうじて小学生時代からの友人が1人だけいるが、住んでいる場所が離れているためオンラインゲームで遊ぶだけの関係である。 

俺がちびっ子だった頃の脳内辞典で「友達」というのは、学校が終わるとすぐに誰かの家やら公園に、当時の感性ではカッコイイ自転車を漕ぎ家に着けば携帯ゲーム機や据え置きゲーム機、カードゲームを擦り切れるまで遊ぶ。
外に出れば鬼ごっこやかくれんぼ、キャッチボールで傷だらけ泥だらけになるまで遊ぶ。
そんなことを一緒にしてくれる存在のことを指す。

しかし高校、大学に上がるにつれて昔の友人たちとフェードアウトするように袂を分かち、疎遠になっていく中、パソコンゲームにのめりこんだ俺は「友達」をインターネットで作るようになる。顔も名前も細かな人となりも知らないのに同じゲームをしているだけの友達。俺の中で友達の定義はそういった存在に変わった。

そして望んでいないのに訪れた社会人になる日。慣れないことを頑張って覚え、覚えたことを慣れないながらに実践し、頑張り続けた精神は摩耗して仕事以外は惰性で過ごすようになる。

あの時みたいに深夜までゲームなんか出来ない。起きて出勤しなきゃいけないから。
そうしてゲームをしてた友達も、チャットツールで繋がってはいるものの言葉を交わさなくなった。


するとどうなる 友達は一人もいなくなる
LINEの通知なんかひと月に2,3回「①」と右上に表示されればいい方だ。
嬉々としてアプリを開いたら何かの公式ラインだった時の気持ちは言い表せないくらいヤな感じである。

職場で作ればええやん と思ったが同期が一人もいない。新卒だから後輩ももちろんいない。先輩のことも友達という目で見られるような明るい性格であればよかったがそうじゃない。

ここで、友達が出来たときのメカニズムを思い出す。
学校の友達は、クラスメイトや部活というコミュニティ内に存在した。もちろん自分もその中にいたからコミュニティという繋がりのもと、友達になった。
趣味で出来た友達もそう。とあるアイドルゲームが好きな人たちの掲示板というコミュニティ内で友達はできた。とあるゲームを楽しむチャットというコミュニティ内で友達はできた。

完全に理解した。友達がいない最大の理由はコミュニティに属さないことだった。そうだ、趣味を作ろう。それのために燃え上がれるような趣味を。

しかし社会人になり感性がすり減り同じような毎日を過ごすことに順応してしまった俺に今さら熱量のあるコンテンツを享受できるほどの受け皿は無くなった。

なので、感性の受け皿を作って頂ける、「感性の受け皿職人」を探しています。
出来れば底が深く、径が広いヤツがいいです。

自分、いけます! という感性の受け皿職人の方はDMまでよろしくお願いいたします。

2023/02/18 高恥






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