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お前たちをどんなに深く愛した者がこの世にいるか、或いはいたかという事実は、永久にお前たちに必要なことだと私は思うのだ(有島武郎)

お前たちをどんなに深く愛した者がこの世にいるか、或いはいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ(有島武郎)

有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学、洗礼を受ける。1903年に渡米。ハバフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、経済学を学ぶ。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加する。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。

  私は「愛」という言葉が嫌いだった。「男らしくない」と感じていた。「女々しい」(今じゃ、差別用語かな)と感じていた。その考えが変わったのは、両親が亡くなった40代の頃だった。自分が親になり、両親が自分に注いでいた視線が理解できるようになったのだろう。

 離婚して、娘たちが独立して家を離れていったので一人暮らしになった。そして、還暦を過ぎて自分の人生をふりかえると親の愛情を痛感するようになった。ちょうど、その時にある女性との再婚話が持ち上がった。

 私は自然と「親に恥じない息子でいたい」と思うようになっていた。英検1級に合格しようが、京大二次で8割とろうが、それを一緒に喜んでくれる人がいなければ風が吹くようなものだ。ビュー、ビュー。

 受験指導をしていると、痛感する。生活費を稼ぐためだけに働いているわけじゃない。いや、生活費を稼ぐためにも生徒や保護者が喜んでくれないとダメなのだ。人間はロボットではない。愛し、愛されなければパワーが生まれない生き物なのだ。決して、女々しいわけじゃない。

 お前たちをどんなに深く愛した者がこの世にいるか、或いはいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ(有島武郎)

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