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「数学は楽しい」。そう思えるのは、なんでやか分かれへん

「数学は楽しい」。そう思えるのは、なんでやか分かれへん。

 誰かて、小学校で算数を習い始めた頃は、算数がおもろかった思う。「スタートレック」や「宇宙戦艦ヤマト」を見たら、科学技術のすばらしさに魅了された思う。それが、なんで大きなると数学ぎらいが増えるんやろう。

 うちは、中学校までは数学が好きやった。おもろかった。高校でも数学は好きやった。ところが、テスト、テストで順位を付けられると、
「あんたは文系です。数学の点数はイマイチです」
 ちゅう事実を受け入れざるをえなかった。大学受験の5日前に、ノイローゼを起因とする全身痙攣から入院さわぎを起こしてまい
「わしは数学は向いてへん」
 と判断せざるをえなかった。

 結局、英語講師になってんけど、数学が好きなことは変わりなかった。そやかて、京都大学を受けるような優秀な子ぉに難問の質問を受けると、入院さわぎを思い出し、悪寒のようなものが背筋をはしった。

 倒れへんことに注意しながら、ちょいちょい勉強を進めて
「たいていの問題はいけんといて」
 思えるようになってきた。たとえ、解かれへん問題があっても、生徒の方は
「このせんせは、京大二次で7割解けるんやさかいいける」
 と、信用してくれるようになった。悪寒を感じへんくなった。

 それと同時に、数学がおもろうてしようがのうなった。

 そういうたら、英語講師になる時も似たような経験をした。中学校の頃は、英語ちゅうのは暗号のようなもので「解読」するのは絶望的にややこしかった。
「こんな暗号を瞬間的に理解するなんて、絶対に無理!!」
 思うとった。

 それが、アメリカから帰国した頃には英語が日本語と変われへんくらい使えるようになっとった。

 やさかい、数学も
「やったら、できるやろ」
 思えたのかもわかれへん。

 40歳くらいから50歳くらいまで、オリジナル、チェック&リピート、1対1、赤本を2周ずつやり、Z会を8年、センター試験を10年、京大二次試験は7回うけた。10年くらいかけても、楽しゅうってしゃあなかった。

「いつかは身に付く」
 ちゅう確信があったさかいや思う。

 結果をネットの中で公開したら、
「何イキッているんや!」
 といった声もあったけど、そんなわけがあれへんやろ。うちの指導させてもうている生徒たちは、うちが10年かけて身につけたこと3年で身につけてる。うちは、残念ながら、塾生の子ぉたちのような才能があれへん。

 せやけど、受験でええ成績をとることと「数学の才能がある」ことは別のようにも思うさかい、絶望はせえへん。

 うちが熱う語ると、生徒の方は
「せんせは、ほんまに数学が好きやね」
 言う。講師が数学がめっちゃ好きやと、生徒にその熱が伝染する。教師が
「勉強は嫌やろうが、もう少しの我慢や」
 なんて言う、勉強をしんどいものやと信じてると、生徒も勉強はしんどいものや思てまう。不幸なこっちゃ。

 みんなが夢中になってるスマホも、ゲームも理系の人たちの研究の成果や。その基礎には、数学がある。おもろいだけやなしに、巨額の富を生み出しもする。みんなの生活を豊かにもする。

 うちは、英語ができるお陰で外国人の友人がようさんできた。数学ができるお陰で、生活ができる程度の収入は常に得られる。何より、毎日が楽しい。ほんまに、英語や数学と出会えて、人生がリッチになったと感じてる。感謝してる。

 うちが英語検定1級に合格したのは、30歳の時のこと。つまり、大学を卒業してからも、ずっと独学し続けた。仕事をしながら、結婚しても、子どもが生まれても勉強し続けた。

 具体的に言うと、大学時代はECCに通い、リンガフォンで勉強し、NHKの英語番組を見、Japan Times を読み続けた。英語検定1級の過去問は、5周した。余裕のあるお金と時間のすべてを注ぎ込んだ。

 それくらい当たり前のことや思うとったさかい、楽しかった。苦痛やなんて思たことはあれへん。他人には、酒もタバコもギャンブルも女遊びも、なんもせえへんで勉強してるのは辛いように見えたらしいけど、うちは楽しかった。

 テニスかて、バイオリンかて、なんであっても、何十年も練習を積まな身に付けへんのは当たり前のことで、これ読んで下さる人も同意される思う。2年や3年で身に付くなんて考える方がおかしい。

 ところが、世の中には
「来年、絶対に○○大学に合格させてくれへん!保証してくれへん」  と、塾にやってみえる方がおる。
「1年で、なにができるんやろう」

 うちの指導させてもうている子ぉたちは、中学3年生から4年間、きっちり勉強してくる。そやかて、旧帝レベルに必ず合格できるとは限れへん。せやのに、
「1年頑張ったらええやん」
 なんて、受験をねぶってる。人生をねぶってる。成功するわけがあれへん。

 たとえば、アメリカ最大級の保険会社のトップであるA・Lウィリアムズが著書の中で
「ものごとをマイナスの面だけでしか見ーへん人とは、つきあうなぁ」  ちゅうと、よう売れる。ようさんの人の共感を得らえるわけや。

 ところが、うちが同じこと言うと叩かれる。教育者としたーるまじき発言と、誹謗中傷される。なんでやろう。

うちらは、怠け者の犠牲になる必要はあれへん。すばらしい数学や英語の世界を追い求めたいなら、ネガティブな人と無意味な会話をして時間とエネルギーを浪費しとったらあかん。

 受験でも、マイナス思考の人から距離を置かな「合格」はつかみ取られへん。そやさかい、高校からはランキングや偏差値で分けられる。「日教組」が批判されるのは、社会主義が 「みんな仲良う助け合わんかい」

 言うて、強制的に5つの机を固めて「班」を作らして、強制的に教えあうように指導するさかい。強制的に学者タイプの子ぉと、暴力団タイプの子ぉ隣り合わせに座らす。ほんで、絆ができたと妄想する。

 うちの塾生の子ぉたちは、「迷惑」てしか思てへん。そやさかい、なるたけ早うそういう子ぉと距離を置きたい。そやさかい、四日市高校や桑名高校に入ったら
「よかった。もう、あの子ぉたちと会うこともあれへん」
 と、言うてる。妄想にとりつかれると、こういう現実が見えへん。

人生は短い。英語や数学を身につけるだけでも何十年もかかったうちは、いらんことしてるヒマがなかった。なるたけ効率的に時間を使えへんと、人生なんて、アッ言う間に終わる。  プラス思考の人たちに囲まれて、お互いに励ましおうて生きる。そんな人生でないと、なんも身につけへん。逆から見ると、マイナス思考の人には近づけへんこと。

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