マンボーさんの話す腸のなり方と、弓道
11月15日の オンラインサロンで、マンボーが話していた
腸のなり方。
の話の中で、思い出した事がある。
マンボーさんは、
今日、何で腸になれなかったか。について1日の行動を見返す話をしていた。
昨日までの自分は関係ない。
一日、一日、寝たらリセットされるから、
今日1日だけで見る。
昨日は99%腸に近づけたとしても、
今日は1%しか近づけないかもしれない。
だから、とにかく今日だけを振り返る。
そういう話をしていた。
この話の中で、私は自分が弓道部にいた頃を思い出した。
弓道は、常に自分を見るスポーツで、
常に「自分のせい」のスポーツ。
戦う対戦相手がいないから、的に当てられなかったのは、絶対に原因は「自分のせい」のスポーツ。
たまに、道場内がうるさくて集中出来なかった、
という事があったとしても、それはうるさくしていた誰かのせいではなく、
自分の射に集中出来なかった自分のせい。
もう全てが自分のせい。
マンボーが話す腸になる考え方は、弓道に共通していると思った。
私は高校3年間で弓道、大学4年間でアーチェリー部に所属していた。
その経験から、弓道とアーチェリーでよく対比して考えていた。
同じ弓だけど、精神性が全く違うのが面白かった。
個人的には、精神的に楽なのはアーチェリーだった。
どちらも射を安定させる、というのは共通しているけど、
まず、一つの試合で打てる本数が全く違う。
通常弓道は1試合で打てる射数は八本。
アーチェリーは72本。
基本的には弓道は一本も落とせない、と思って望んでいた。
一本一本にかける思いと集中力が必然的に高いのが弓道だと感じていた。
そして的に当たらなかった場合の思考回路も大きく違う。
アーチェリーは、道具についても改良を重ねていく。
道具のここを変えよう、これを加えてみよう、
と外側を変えていく作業が弓道に比べるととても多い。
色々な道具を付けて弓自体を重くしていったり、機械に頼る部分も多い。
例えば、的に照準を合わせる事の一つを取っても、
アーチェリーにはサイトと呼ばれる、
定規のようなものに的に合わせる為の小さな丸いものがついていて、
それを使って照準を合わせる道具がついているのに対して、
弓道にはそういったものは何もない。
だから、自分の親指の爪を照準として合わせて使う人もいるし、
みなそれぞれ工夫して自分の目印のようなものを持っている。
弓道の道具はとてもシンプルに作られているので、
もちろん道具の手入れはしっかりするにしても、
基本的には変えられのは自分自身の体の使い方しかない。
加えられる道具というものがそもそも無い。
その為、自分の体の使い方の癖を知り、それを直すという作業をしていく。
これがとてもキツかった。
自分では何の自覚もないまま出来上がった癖だから、
まずそこに気が付かなきゃいけないし、
気付けたとしても、知らぬ間に出来上がった癖は一朝一夕には直らない。
それを毎日毎日、先生や先輩、同級生に注意されながら少しずつ少しずつ直していく。
そのうち、下級生も入ってきて、成績を抜かされるようになると、焦りも出てくるし、
精神的にもとにかくキツくなってくる。
同じように悩んでる人同士で励まし合い、それでも続けていくと、また少し良くなって。の繰り返し。
これを弓道ではやっていた。
途中で退部する人ももちろんいる。
的に当たらず、成績が良くないのも全て自分のせい。
だから的に当たらない理由をとにかく探していく。
今思うと、
腸の考え方にある、「全ては自分のせい」という考え方は
既に高校時代に弓道で、私は教えてもらってたんだな、と気付いた。