週刊タカギ #25

こんばんは。高城顔面です。
なぜか今日だけで34首できた。逆に怖い。


きょうは6/21(金)。一首評を掲載します。

権力を行使するのが気持ちいい警備員さん K K K K

伊舎堂仁『感電しかけた話』(書肆侃侃房 ,2022)

3月に、伊舎堂仁さんと歌会をした。

というのも、歌人の石井僚一さんが全国各地で開催している「石井は生きている歌会」という歌会があり、各回でゲストが招聘されるというシステムになっているのだが、ちょうどわたしの住む札幌で開催された回で、ゲストとして伊舎堂さんが参加されていたのだ。

伊舎堂さんは、なんだかエキセントリックだ。

初の北海道旅行だったとのことで、歌会前にまずは小樽へ観光に行き、札幌に戻る道中で列車を途中下車し、小樽~札幌間の一部を歩いてみようと思い立つも、途中で「熊がいたらどうしよう……」という不安に駆られたらしく、当初の目的地より手前の駅で再び列車に乗って、札幌へ向かったらしい。
けれども、その思考の過程をスルーして、今いる場所の写真と、ちょっとしたキャプションをXのタイムライン上にアップし続けていて、「なぜ伊舎堂さんは星置駅にいるんだ……」とけっこう困惑させられた。(※星置駅は札幌の郊外の住宅地にある駅で、あまり観光地的なみどころはない)

しかし、歌会内では、ことば選びのアンテナの感度や、受け取る帯域の違い、歌を面白がるポイントや、ことば自体に対する考え方を見ると、「やはり伊舎堂さんは歌人なのだなあ……」と思わせられることが多く、さらにわからなくなってしまった。(ちなみに、先ほどの伊舎堂さんの一連の動きはご本人のnoteでつぶさに書かれているので、ぜひ読んでみてほしい。)

そんな困惑してばかりのわたしだが、歌会での読みも含め、あまり伊舎堂さんの歌をうまく読みこなせていない、と思っている。第一歌集『トントングラム』に書かれているプロフィールの好きなものごとは、自分と近しいものがあるのに、こんなにもわからないかー、と思ってしまう歌が多くある。

『トントングラム』で、わかる、と思う歌を引いてみる。

非常口となりますので物等を置かないでくださいが揺れてる
そういえば ばあちゃんに読んだじいちゃんの弔辞、ほとんど「キヨちゃん」だった
この声の人は小野リサそう知った時からそこらじゅうに小野リサ
(伊舎堂仁『トントングラム』(書肆侃侃房,2014)より)

伊舎堂さんの歌は、圧倒的に瞬間性が高いと思う。そこにしかない瞬間、万物にある「今」しかない瞬間。それを切り取って「短歌ですよ~」と見せてくれるような感覚が強い。一首目の「非常口となりますので物等を置かないでください」の揺れかた、二首目の「じいちゃんの弔辞」、三首目の「小野リサ」に対する気づき、これらすべては、ある瞬間を切り取ったものである。この手法の歌には「おっ!」となるものもあれば「???」となってしまうものもある。

第二歌集、『感電しかけた話』では、詞書の割合が非常に多くなり、その内容もかなり個人的なもので(歌集名もそうだ)、内省的で、ドライだ。その上、歌にも「わからなさ」が多い歌がふんだんにあり、頭がこんがらがる。短歌ってなんなんだろう、そう思わせられた歌を引いてみる。

モンキー・D・ルフィ …… ダニエル・ラドクリフ
命を、命を大事にしないやつなんて大っ嫌いだ!」 はーい

権力を行使するのが気持ちいい警備員さん K K K K

これらの歌を、「はい、短歌です」と言われて差し出された人はどう感じるだろうか。わたしのように困惑するかもしれないし、呆れるかもしれないし、怒り出したりもするかもしれないし、深読みをする人もいるかもしれない。
漫画のキャラと「……」と俳優の名前をつないで、半ば強引に一首のかたちにするという手法は、ほかでは見たことがないし、二首目のセリフと返事、ふたつの肉声の断片を切り取った(しかも片方は、アニメ映画「ゲド戦記」のセリフだ)というものを歌として出すことは、相当な胆力がないとできないと思う。三首目の「K K K K」は何かのメタファーなのか。等間隔に並ぶ警備員の姿なのか、あるいは警備会社のロゴなのか。わからない。少なくとも、これらの歌は、『感電しかけた話』という限られた流域でしか生きられない、ホタルのような歌なのではないかと思ってしまう。

伊舎堂さんは、いわゆる「奇想」というものをやっているのではなくて、おそらくは、自分が「おもしろい」と思ったものの形を、短歌という「額縁」に収めるうえで、ありきたりに絵とか写真を収めるのではなく、たとえば、ヒトデの干物とか、その「額縁」の中に、ギリギリでパッケージングできる形状のものも選んでいるのかな、みたいな印象がある。

個人的には、本人が「これは短歌だ」と言っているものは、短歌なんじゃないのかな、と思っているので、これらはきっと短歌なのだと思う。あとは、それがどう受け止められるか、面白がってくれるか、あるいはそうじゃないのか、それが伊舎堂さんのやっているスタイルなのかな、と思う。

少なくとも、わたしは今、彼の歌のよい理解者ではない。だが、これがもしかすると「そういえば、あの時のヒトデの干物、今見返してみると、けっこう面白いかもな……」なんてことになるのかもしれない。
そう考えさせられる時点で、もしかしたらわたしは、すでに伊舎堂さんの掌の上で転がされているのかもしれないな、と思った。


次回は6/28(金)更新予定。短歌を掲載します。



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