たまにはディスクレビューを(突然段ボール『抑止音力』(1991))
ご無沙汰しております。高城顔面です。
普段は、たまに短歌をつくり、細々とネットプリントなどで配布してみたりして日がな過ごしています(ちゃんと仕事はしていますのでご安心を)。
わたしは2016年の秋に、ひょんなきっかけから短歌をはじめたのですが、それ以前の主な趣味は、音楽を聴き、ライブに通い、当時やっていたブログでたまにディスクレビューを書くことでした。
今でも、CDを購入し、サブスクで音楽を聴き、たまにライブに通うということはしているのですが、ディスクレビューを書くことは長いことしていませんでした。
せっかくnoteがあるのだし、久々に何か書いてみよう!ということで、今回は番外編として、久しぶりにディスクレビューを書いてみようと思います。
短歌関係の文章を楽しみにしている方、ほんとうにすみません!短歌のネットプリント『高城紙面』はゴールデンウィーク中の発行を目指して鋭意制作中、今年は歌集の感想も1~2冊はアップしていきたいのでご勘弁を…!
あとは、4/30に札幌・凪の旅先で行われる「窓辺歌会」の特別編に参加します!特別編ということで詩の合評会を行うとのことで、わたしも詩を制作中です。詩を書いたのは小学校の授業以来。果たしてどんな出来栄えになるのかは、会場でのお楽しみということで。参加する方はどうぞよろしくお願いいたします!
長くなりました、それでは、本編をどうぞ。
突然だが、皆さんはパンクロックというジャンルの音楽を聴くだろうか?
わたしはある程度ではあるが、聴く。
音楽を自発的に聴くきっかけとひとつになったのが、父親が聴いていたTHE BLUE HEARTSのCDを借りたのがあったということが大きく寄与していると思う。当時は確か小学2年生だったと記憶している。
その後も、ヒロト&マーシーの流れでハイロウズも聴いてみたりだとか、あぶらだこを聴き、ほかでは得難い唯一無二のスタイルにハマってしまったりだとか、銀杏BOYZの強烈な音作りに度肝を抜かれたりだとか、ミドリの後藤まりこの全身を削ってゆくようなパフォーマンスに衝撃を受けたりだとか、INUを聴いて町田町蔵(現:町田康)の当時18歳とは思えない図太い才覚に脱帽したりだとか、聴く方向性に偏りはあれど、ある程度の「パンク」と形容してよい音楽を少しずつ聴いてきた。
ちなみに私は完全なる邦楽派(歌詞が分かる方が好きなので…)であり、夕暮れ時、部活の帰り道でビートルズやセックスピストルズを聴く、ということはまったくなかったのである。(余談だが、神聖かまってちゃんのの子さんはメロディーメーカーとして一流であるとわたしは思っている。なので、わたしは必ず「さん」付けで呼んでいる。どうでもいい話だが…)
しかし、この度、パンクロックとはかくあるべしという、自らの中で作っていた勝手なイメージをぶちのめすようなアルバムを聴いてしまった。
最初はサブスクで聴き、素直にかっこよいと思い、CDを購入して歌詞カードを読んで確信を得た。これはどこにもない最高のパンクロックだと。
そのアルバムの名は『抑止音力』。「よくしおんりょく」と読み、突然段ボールという風変わりな名前を持つ、東京のアンダーグラウンドシーンを拠点とするバンドの1991年の作品。当時のメンバーは実の兄弟である蔦木栄一と蔦木俊二のふたりだ。
ふたりでパンクロック?と思いたくなる方も多いだろう。最低でもパンクをやるならば、ボーカル、ギター、ベース、ドラムがメンバーに欲しいところだ。しかし本作でのこのふたりのパートは以下のようになっている。
蔦木栄一:ボーカル、エフェクティック・パーカッション
蔦木俊二:ギター、ベース、キーボード、ドラム・プログラミング、バック・ボーカル
まず、俊二のパートに「ドラム・プログラミング」とあるように、打ち込みのドラムをこのアルバムでは全面的に打ち出しているのである。マシーン・ビートでパンクをやるということに懐疑的な方もいると思うが、一旦こらえてほしい。
まず、基本情報として押さえておきたいのが、このアルバムでは栄一が作詞とボーカル、そして「エフェクティック・パーカッション」と呼ばれる、(おそらく)鉄琴にエフェクトをかけた独自の楽器を演奏しているということ、俊二がそのほかの楽器と作曲を一手に引き受けていることである。(編曲はふたりで行っているようだ)
彼らの1stアルバムである『成り立つかな?』(1981)では、制作直前に、一緒に作曲を行っていたベーシストが脱退し、ふたりでギター、ベース、ドラムを録音するという、独特のスキマ感があるアルバムとなっている。しかし、本作は栄一のライナーノーツ(後述)によると、「打ち込みドラムの購入とその使用により、リズム体の充実に自信を持ち」制作されており、栄一はドラムから、よりフリーキーに演奏が可能なエフェクティック・パーカッションの演奏にシフトしている。つまり、この体制への移行は必然的なものなのだ。
この打ち込みドラムの導入以前は、ベースと生ドラムを録音したテープを回しながら、栄一がエフェクティック・パーカッションを演奏し、俊二がギターを演奏するという、至極アナログな同期演奏を行っていたようだ。この演奏の光景は、当時バンドが出演した「いかすバンド天国」(いか天)でも放映されている。(ちなみにこの「凍結」という楽曲は1997年の『アイ・ラブ・ラブ』という未発表音源をまとめたアルバムまで収録されなかったようだ)
前置きが長くなりすぎた。いよいよアルバムについて書いていきたい。わたしが所有しているのは2009年にP-VINEからリリースされたリイシュー盤。諸事情(これも後述)でカットされた一曲がボーナストラックで収録されている。帯ではJOJO広重(ノイズミュージシャン、突然段ボールがのちにアルバムをリリースするアルケミーレコードの主宰)が「『抑止音力』を聴いたことがない方は早いうちに聞いた方が良い。それだけは間違いない。」とアルバムを激賞するコメントを寄せている。
Amazonからの引用で恐縮だが、ジャケットはどこかの食堂のようだ。右下に「突」の文字。中央に赤字で『既成事実とこれを推進する向きとの漠々とした対決』とあり、なにやら一筋縄ではいかせてくれなさそうな雰囲気がまとわりついている。
歌詞カードのページをめくろう。すると、栄一による1ページをまるごと使ったライナーノーツがある。これを読むと読まないとではアルバムの印象が全く異なるので、ぜひ読むことをお勧めする。全文を載せることは憚られるのでかいつまんで引用する。
まずは前述した本作の制作に打ち込みドラムが導入されたこと、そして「眼前の敵」という曲をカット(この盤ではボーナストラックとして収録されている)したことをリスナーに告げている。それに対する栄一の弁は以下のとおり。
なんて、自分のロック観に関して先鋭的であり、誠実で、真摯なのだろう。
このあとの文章も、これはパンクロックのアルバムだ!とひしひしと感じさせられるような良き文章のため、もう少しだけ引用する。
リリースの1991年と言えば湾岸戦争真っただ中、ソ連が崩壊するなど、世界が揺れ動きまくった1年と言えるだろう。そんな中で、自身ができる手段で現状を「抑止」させるダメージを与えたいというメッセージ、それに自分自身がNOを突き付けたいものが、至極明確だ。この精神性をパンクロックと呼ばずしてなんと呼ぼう。
これだけ書いてもまだアルバムの本題に入れていない。お待たせしました。次は曲のレビューに移ります。
1.夢の成る丘
アルバムの一番最初を飾るにふさわしいパワーを持った曲。
変則的なリズムのイントロから、ひょろひょろとしたエフェクティック・パーカッション特有の音がフリーキーに流れ込み、その直後、一気に打ち込みならではのパワー全開でぶちまけるようなドラムサウンドにびっくりする。音作りもいい意味での派手さがあり、全体的にパワーを感じる。
ここに「くだらねえ〇〇」というフォーマットで統一された、栄一曰く、いやだいやだと言う感覚である「マイナー・パワー」(ライナーノーツより)の叫びが乗る。
歌詞全体で35個、「食い物」から「未来」まで、様々なものに「くだらねえ」と吐き捨てている。
また、「夢の成る丘」というタイトル通り、歌詞の中では抽象的なイメージの丘で、それぞれの幸福に興じていたいという、一種の理想に近い願望も色濃く表れており、『抑止音力』のテーマ性にかなり寄り添った一曲だ。6分近くある曲にもかかわらず、痛快さが存分にある。
2.正体
このアルバムの中でも特に印象に残った曲。
歌詞としては、1番と2番で全く逆の構図にあるものが、結局は同じ秤の上にいつのまにか載せられていた…という趣を感じるもの。いつの間にやら、大きな枠組みの中に仕組まれていたという、どうしようもできない「力の質」からの抑圧を強く感じる。
この曲に関しては断片的ではあるがライブ映像があるので、そちらもチェックしてみてほしい。(どうやらドラムマシーン導入後も、録音したアナログテープに合わせた同期演奏を行っていたらしいことが伺える。重要な資料だ。)
あとこれは音源のみになるが栄一の「消費税込みィ!!!」というシャウトがカッコいい。気になる方は聴いてみてほしい。シャウト前後の演奏の激しさもよい。
3.ヤケクソ、デタラメ
文字通り、という感じの歌詞とタイトルだと思った曲。
曲調はこのアルバムの中では一二を争うくらいにポップかもしれない。跳ねるような長めのイントロから、半ばやけっぱちなシャウト(笑い声)が乗るという流れがかっこよい。もう、笑ってしまう、というよりも笑うことしかできないという状況下、まさしくヤケクソ、デタラメという状態なのである。ワライダケでも食べたのかというほどの。
もうシャウトが「ウッヒャッヒャア!」とか「ウウワァ~」とか、もう表記すると喃語に近いようなそんな感じに近いところもポイント。
4.視力の限界
カッティングギターがカッコいい一曲。
イントロのフィードバックノイズから、俊二による曲全体を貫き通すカッティングがとにかくクール。フリクションにも通ずるところがあるようなないような…?
歌詞としては、歌詞の語り手のスター(的な人物)に対する、皮肉ともとれるような、自己が崩壊していく様というか、個人個人で見解がちょっと割れそうなもの。スター(的な人物)に対する冷徹な視線は、この後の「孤立の理由」にもあらわれていると思う。
5.標識の見方
いつの間にやら立場が入れ替わっている歌詞が特徴的な一曲。
ざっくりと言えば、語り手の「私」が、役立たずでいることのメリットを知っている「彼奴」の意志をいつの間にか継いでしまっているという(こう書いていてもよく分からないな)、兎にも角にもシュールな歌詞。
「一欠片の責任も、一片の役割も担わないことの 至上の価値を知ってる」ってなかなか書けない歌詞だと思う。
6.安住の地
深い淀みにはまっているような曲。
自らの「安住の地」を必死に探り求めて行くが、結局そこは・・・といった感じの歌詞。歌詞のリフレインの使い方が、心から真剣な希求という感じがして好きだ。比較的ヘヴィーな曲調なのだが、曲が突然ぷっつりと終わる感じも好み。
7.テーブル
現代社会に対するプロパガンダ色が強い曲。
歌詞の情景としては、広告が支配する社会に対する批判性を強く感じるが、舞台の設定が独特でかなりシュールだし、栄一のシャウトはあと一歩外れたら滑稽になってしまいそうなギリギリのラインを攻めている。サビでまくしたてる言葉のパワーがかっこよい。
8.孤立の理由
わたしたちが「カッコいい」と思っているものを再度見つめなおせるような曲。
歌詞としては「夢の成る丘」と構成が似ていて、歌詞の中に32個もの「かっこいい」という単語がベースとして置かれている。
しかし、その「かっこいい」という状況がはたしてほんとうに「かっこいい」と呼べるのか?という状況、ある種の褒め殺し的な用法で用いられているのが面白い。
ドラムとベースが特にニューウェーブ的な構成なのもまたオツなところ。
9.合金とハム
いちばんポップだけれど、いちばん歌詞が難解な曲。
まずタイトルの取り合わせが、ふつうの曲名としては共存しがたいものの衝突だ。
逆らい難いほど偉大な存在に対し、最大限の反応をみせている本物の「おれ」の身体の変化を、偽物のひとつの喩えとして持ち出したのが「合金」と「ハム」である…という、なんとも要旨がつかみにくい歌詞である。
Don't think Feel.ってな感じでめちゃくちゃ長い間奏(この曲は特にキーボードが効果的に使われている)とともに陶酔する感じで聴いてみてほしい。
10.日々・反省の毎日
人間、あるいは世界の構造について思考が回る曲。
エコーの効いたドラム、マイナー調のキーボードがループし、不安感を駆り立てる曲調の中で、メロディーのないハキハキとした語りが躍動する。
歌詞は権力や集団という概念自体を想起させるもので、そんなに詳しくはないのだけれど、なんとなく共産主義的な雰囲気を感じる。
そんな歌詞と少しギャップを感じるようなタイトルも、重苦しさを増しているように感じさせられる。
11.眼前の敵(ボーナストラック)
オリジナル盤では意図的にボツにされていた曲。
全体を貫き通すベースリフがめちゃくちゃクールだ。
ボツの原因となった歌詞は、確かに栄一がライナーノーツ(前述)で書いていたような、争いがすぐ目前に迫り、いずれはすべての終局が訪れるというものであるが、歌詞の最後の畳みかけ方が個人的に好きなので引用する。
世界の破滅という大きな局面も、いつの間にやら薄く薄く身の回りに侵食してきているというようなものを強く感じる歌詞だ。
マルキ・ド・サド(フランスの小説家)は「快楽とは苦痛を水で薄めたようなものである」という言葉を残しているが、それに近いような感覚を感じる歌詞だ。(ちなみにサドのこの言葉は、久米田康治の漫画、『さよなら絶望先生』から知った。知識の引き出しが偏っているな…)
さて、ここまで、つらつらとこのアルバムについて書いてきた。
個人的には、あくまでもこの文章はアルバムを聴くための補助線のように読んでほしいと考えている。
第一に、聴いてみて「こんなんパンクじゃねー!」とか「これはニューウェーブでは?」と思う方も大勢いる音楽だと思う。
あくまでも「わたし自身はパンクだと思った」から、それだけの理由でこの文章はなんとかここまで書かれたのである。
最後にその後のバンドの動きについて。バンドは新メンバーを迎え入れたり(女性コーラス隊を迎え入れたり、一時はあのモーリー・ロバートソン氏がベースとして在籍していた時期もあった)しながらゆるやかに活動を続けた。
しかし、2003年に兄の栄一が病に倒れ他界。バンドに大きな衝撃を与える。
栄一が他界した際、P-MODEL時代に交流があった平沢進は公式ホームページに追悼文を記し、初期からのバンドのファンであり、アルバムの共作も行った、たま(当時)の石川浩司は、病床の栄一が俊二にぽつりと言った「肉体の死は死じゃないから」というフレーズが、彼の死後数日経ったある日に突然頭から離れなくなり、涙が止まらなくなったというエピソードを著書で明かしている。
そして、その後もメンバーチェンジを続けつつ、俊二が作詞作曲を一手に担い、現在は男女混成の4人組バンドとして活動を続けており、2019年にはフジロックに出演。同日の同じ時間帯にライブを行っていた銀杏BOYZの峯田和伸が、MC中に「フジロックの中で突然段ボールをいちばん観たかったが、時間が被ってしまい観られなかった」と打ち明けるなど、ミュージシャンズミュージシャンとしても評価が高いバンドとなっている。
1977年の結成からはや40年超。アンダーグラウンドシーンの巨人は、いまだに歩みを止めないでいる。そのマスターピースのひとつとして『抑止音力』は独特なまぶしさを放ち続けるのだろうとわたしは思っている。CD盤は現在廃盤のようだが、各種サブスクリプションサービスにて聴くことができるので、まずはぜひ聴いてみてほしい。そしてあわよくば、CDを購入して歌詞カードを読んでみてほしい。一応検索したら歌詞は読めるのだけれど、これはライナーノーツ込みで読んでほしいのだ。
(個人的には、今現在も栄一が存命だったならば、いったいどんな歌詞を書いたのだろうかということが、気になることのひとつだ。)
このアルバムを聴いて、あなたの何かに少しでも作用すれば、これ幸いである。
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