週刊タカギ #29

こんばんは。高城顔面です。
札幌では花火大会なのですが、疲れているし、混むので行きませんでした。こうして夏がまた終わってゆく。


本日は7/26(金)。短歌評を掲載します。

生きるのがまぶしいみたいに頬張ってメロンパンって春の季語かよ

鳥さんの瞼『死のやわらかい』(点滅社,2024)

わたしは「高城顔面」という、割と奇妙な筆名で短歌をやっている。
もともとは、本名以外なら何でもよかった(過去の人間関係のいざこざ等で、何が何でも本名を出したくなかったので…)ため、本名を再構築し、当時聴いていたバンドのメンバーの方から、苗字の字面を拝借し、弟から呼ばれていたあだ名を取り入れた結果、現在の筆名に至るという流れだ。
いろいろあって、恩師の先生がいち早く筆名に気づき、やんわりとたしなめられたりもしたが、知り合いも増え「顔面さん」「顔面ちゃん」などとも呼んでいただけるようになり、今では結構愛着のある名前になっている。

そんな自分語りを導入にして恐縮だが、さらにすごいと思う筆名の歌人が、この度、第一歌集を上梓した。名前を「鳥さんの瞼」さんという。「苗字+名前」でもないし、名前の中に「さん」が入ってくる!すごい筆名である。そんな鳥さんの瞼さんの歌集は、わたしが個人的に推している、東京のふたり出版社「点滅社」から上梓された。『死のやわらかい』というこれまた特徴的なタイトルだ。その名の通り、この歌集の中には「死」を扱った歌が多く収められている。

大陸で暮らす魚のはるばると432円の棺
きっぱりと枇杷の浮かんでいるゼリー美しい死後もあるかもしれない
今が旬!朝獲れ定食 ふさわしい季節に魚たちは死んでいく

他者の死について詠んでいる歌を引いた。食べられることで葬られることになる「432円の棺」に収まっている魚たち、おそらくシロップ漬けになっている、ゼリーの中で様態を変えない枇杷、旬の魚から順に死んでいくという事実。それらを客観的に、淡々とした調子で詠んでいく。奥付のプロフィールには「死と水が好きです」と記されているので、著者にとっては、着眼点として人一倍気づきやすい領域なのだろう。

しかし、それ以外の要素の歌もしっかり含まれている。

諸経費や原材料高騰により小顔になってゆくアンパンマン
うわ~~~~~~任意の長さで叫んだらいつか死を克服できる文学
生きるのがまぶしいみたいに頬張ってメロンパンって春の季語かよ

一首目は、童話的な世界に限りなく現実世界に近いリアリズムを導入する、という試みを行っている。二首目の「うわ~~~~~~」の任意の長さは、ぜひご本人の口からも聞いてみたいところ。三首目のメロンパンの喩は、純粋に光景としてまぶしく、美しい。「死」の歌の中にこういった球種が違う歌が織り込まれており、一筋縄ではいかない。

もうひとつ、この歌集の中で重要になっているのが、「母」という要素である。

苦すぎる麦茶があったいつだって母は力のかぎり愛した
母の推すあんまり知らん政党が母をさびしくしませんように
巻き貝のなかを明るくするように母は美大はむりよと言った

この歌集の中で、主体はひたすらに「死」を追い続けている。しかし「母」に対しては、ポジティブで積極的な感情たちがはたらいているように感じる。幼少期から、変わらずに愛してくれたこと、慮ってくれたこと。そしてその母を思う気持ち。それらは「死」と相対する軸としてこの歌集の中に存在し、かすかに「死」ではなく「生」を掴みなおすような動きを感じてならない。主体にとってのひとつの生命線のような感覚を覚えるのだ。

最後に、いちばん好きだった歌を一首。

(自分の機嫌は自分で取る 的なやつに苦しくなっても良いと思うよ・・・・・・)

この歌で、幾分か自分の肩の力が抜けたような思いになれた。それだけで、この歌集を読めてよかったな、と思った。ありがとう。できることなら、あなたの本をまた読んでみたいです。


次回は8/2(金)更新予定。短歌を掲載します。


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