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スローフード運動とスープカレー

平成に入って「スープカレー」が北海道の新しい食として登場しました。カレーの語源はタミル語で、多種類の香辛料を用いたインド料理の特徴的な調理法です。歴史的なつながりも、気候風土も正反対ともいえるカレーが、なぜこの20年のうちに北海道で盛り上がり、今やラーメンやジンギスカンと並ぶ、北海道の代表的な食になったのか。その理由を探ることで、北海道の食の未来を考えてみましょう。

北海道のスープカレーは札幌市東区の喫茶店「アジャンタ」の「薬膳カリィ」が発祥とされています。アジャンタの創業者、辰尻宗男氏(昭和9年~平成21年)はインドの魅力に惹かれ、何度もインド旅行を繰り返しました。昭和46年、インド人が健康のためにカレーを食べているという話から、漢方の薬膳とカレーを融合させた薬膳カリィを試行錯誤の中から産み出し、喫茶店の軽食メニューとして1日限定20食で売り出しました。これが徐々に評判となっていきます。10数年の後、アジャンタの薬膳カリィに感銘を受けた下村泰山氏が平成5年に札幌市白石区に「マジックスパイス」を開店し、薬膳カリィにインドネシア料理やタイ料理のエッセンスを加え「スープカレー」として売り出します。これが北海道におけるスープカレー発祥の物語です。

スープカレーは、平成15年にマジックスパイスが横浜の「カレーミュージアム」に出店したことで全国的に知られるようになります。スープカレーの普及に大きく貢献した樺沢紫苑氏の『北海道スープカレー読本』(亜璃西社)が出たのは平成16年です。同書によると札幌ではこの時すでに120軒を超えるスープカレー店がしのぎを削っていました。

この平成15年~16年という時期は、北海道の「スローフード運動」が最も盛り上がりを見せていた時代でした。

スローフード運動は、マクドナルドなど世界的な外食産業が展開するファーストフードに対抗するもので、1980年代のイタリアで始まりました。イタリア人が誇りとするローマのスペイン広場にマクドナルドが進出を決めたとき、これに反発した人びとが「スローフードの会」をつくります。この活動が瞬く間に全国に、そして全ヨーロッパに広がりました。スローフード運動は、世界から食材を集めるファーストフードに対して地場の新鮮な食材を大切にします。また、企業の利益が最優先されるファーストフードに対して食の健康に果たす役割、地域に果たす役割を大切にします。

画像1今や北海道を代表する食となった「スープカレー」

スローフード運動が日本に伝わったのは2000年代で、北海道では平成14
年に「北海道スローフード・フレンズ」が立ち上がりました。北海道スローフード・フレンズを立ち上げたのは新得町の農家で農村民宿の経営者、湯浅優子さんでした。湯浅さんは東京生まれですが、農業実習生として新得に移住し現地で結婚し、日本で初めての酪農ファームイン「つっちゃんと優子の部屋」を開業しました。ファームインの勉強のために先進地域であるヨーロッパへの視察を重ねているうちスローフード運動と出会ったそうです。

「自分が本当にやりたいこと、伝えたいことはこれだ! と直感しました。『食』に対する不安は多くの方が感じています。でも、『危機感』を持つだけでは何も変わりません。まずは、できることをやっていこうと思い、多くの仲間と語り合いました。食のあり方を見つめ、暮らし方を変えていきたいという思いはいつのまにか、北海道でスローフードのネットワークとなりました」(『北の女性・元気・活躍・応援サイト』北海道)。

さらに平成15年に「北海道スローフード協会」が設立され、北海道が生んだ世界的シェフ、三國清三氏が代表に就いたことで大きな注目を集めました。

三國氏は増毛町出身、札幌グランドホテル、帝国ホテルを経てフランスに渡り、三つ星レストランで修業を重ねたフランス料理のシェフです。1954年にフランスで設立された、高級ホテルや一流レストランが加盟する協会組織である「ルレ・エ・シャトー」の「世界5大陸トップ・シェフ」6人の中に選ばれ、フランス政府からフランス料理の発展に貢献した功績からフランス共和国農事功労章「シュヴァリエ」を受けるなど、押しも押されもせぬ世界のトップ・シェフとして知られています。平成12年には九州・沖縄サミットで総料理長を務めるなど、この頃の三國氏は全国的に注目の人となっていましたから、三國氏が北海道スローフード協会の代表に就いたことは、この運動の高まりに大きく貢献しました。

三國氏がスローフード運動に強い関心を寄せたのは、彼の料理スタイルと関わっています。

「料理人が素材にこだわるのは、当たり前のことだ。どんなに天才的な料理人でも素材へのこだわりがなければ、それは素晴らしい料理とは呼べない。料理をつくることは、素材を尊重し、その産地や生産者にも敬意を払いながら、素材本来の持ち味を引き出してあげることが基本だと思う。僕の料理は、素材の本来の味にできるだけ近づけようとするやり方なのだ。自然の風味で満たされている素材はなるべく手を加えないで、足りないものはいろんな工夫で足していき、100%に近づけるのが僕のやり方だ。素材の持つ風味により近い料理の方が僕はおいしいと思っているし、素材に対して優しさや尊重する気持ちを持つのが正しい料理だと思う。僕はそう考えている料理人なのだ」(三國清三『料理の哲学』青春出版社)

画像1三國清三さんの著書『皿の上に、僕がある。』
柴田書店1986年

三國氏は伝統に培われたフランス料理の中で素材の良さを最大限に活かすことが評価されて世界のトップ・シェフに上り詰めました。スローフード運動は食に注ぎ込まれた技術よりも食材の地域性に高い価値を置きます。三國氏の食に対する向き合い方がスローフード運動に高く評価され、平成14年10月には、イタリア・トリノで開かれたイタリアスローフード協会主催の晩餐会に世界最高シェフとして招かれ、料理の采配を振りました。

さて、三國氏が「北海道スローフード協会」を立ち上げた平成15年、北海道は「北海道スローフード宣言」を発表するなど、この年を起点として運動は大きな高まりを見せていきます。

元々、世界的なファーストフードチェーンへの対抗から始まったスローフード運動ですが、その基本的な考えは、地場の食べ物を地場で消費する「地産地消」、食べ物を通じて健康をつくる「愛食運動」、食を通じて次代を担う子どもたちの健全な育成を図る「食育活動」の3つがその柱となっています。そのため北海道のスローフード運動は、肉、タマネギ、ジャガイモというカレーの主要材料は北海道の主要産品であることから、運動の理念を広めるために道産食材によるカレーを推奨してきました。

北海道のスープカレーもまた地場の食材、北海道の材料を使うことを多くの店で売りにしています。スローフード運動は食と健康の関係を強調しました。薬膳カリィとして始まり、健康への効能を強調したスープカレーと重なります。

スープカレーという北海道の歴史に縁もゆかりもない食品が、20世紀末の北海道でどうして突然広まったのか。スローフード運動がスープカレーを公式に後押ししたわけではありませんが、スープカレーの普及の背景にはスローフード運動があったといってよいでしょう。