見出し画像

Ep:6 転機~政治家への転身

政治家になる直接のきっかけは、やはり私の父です。父は、前述しましたが、少年期は少年飛行兵として、終戦後は消防団に早くから入団し、地域活動に熱心に関わってきました。地域のためにもっと尽くしたいという想いから、道議会議員を8期務め、地元の消防団長、北海道消防協会会長、そして最後は日本消防協会会長を務めあげた人です。日本消防協会会長在任時には、東日本大震災があり、その対応のため駆けまわっていた記憶があります。そうした父の背中を見て育ち、地域のために私も頑張らなければと、跡を継いで道議会議員になったのが、政治の世界に入るきっかけでした。

政治の世界は、「一寸先は闇」とよくいわれますが、何が起こるかわかりません。

ただ、私の信条として、「何事もまずはやってみよう」という姿勢を大事にしてきました。チャンス、機会といったものは誰にでも訪れるものです。ただし、このチャンス、機会といったものは停まっていてはくれません。チャンスに挑戦する前に、失敗したときのことなどあれこれ考えて、ようやくやってみようと思った時には、もうその機会は遠くに行ってしまい、そこには無いのです。チャンスを掴んでから考える人との間に大きな差がついてしまうのです。これは、ある意味「プロに徹する」ということにつながるのかもしれません。プロは好き嫌いはいってられない、目の前にきたものを乗り越えていくしかないのです。「プロであれ」、この気持ちを持ち続けて挑戦し続けてきました。

画像1道議会の本会議場で代表質問に立つ私

国政へ転身した際もまさにこの気持ちでした。国政選挙の厳しさはいうまでもありません。しかし、そこで立ち止まっていては、新しい世界への道は閉ざされてしまいます。誰にでも、決意と覚悟を示す時期があるのです。覚悟を決められるかどうか、要はそれだけだと思うのです。大石内蔵助の辞世の歌「あら楽し思いは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」は、内蔵助の「正面突破して敗れても悔いはないのだ」という気持ちが表れています。その約150年後、浦賀からの密航に失敗して、江戸伝馬町に護送される途中で、高輪泉岳寺前で吉田松陰が詠んだ歌があります。内蔵助辞世の歌への返歌で「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」。こうした精神が時代を大きく切り拓いていくのではないでしょうか。

なぜ政治家になったか。一言でいうならば、このような国、地域であってほしいと願う国や地域づくりを実現していくためです。

画像1第48回衆議院総選挙で安倍総理の応援を受ける私

私は、政治の最大の使命は、どういう社会を目指すのかという目標を提示することであると考えています。こうありたいと願う国、地域とは、すべてをここで列挙することはできませんが、日本人の心を大切にし、安定した国民経済を持ち、国家の独立、国益、名誉を大事にする国、あたたかな故郷、家庭があり、そして美しい国土、自然のある地域です。戦後、自己中心主義が蔓延し、モラルのたい廃、家庭の分裂といった社会風潮が進む中、地域によって育まれた伝統・文化、人と人とのつながり、日本人の心の豊かさといった財産を活かしながら、国づくり、地域づくりを進めていかなければなりません。

私は、道内はもとより国内外で仕事をしてきました。こうした経験を活かし、世界の中の日本・北海道という視点、グローバルに考えてローカルに行動するという視点を持って、国づくり、地域づくりに貢献していきたいと考えています。私の使命は、まさに北海道と世界をつなぐ、北海道と未来をつなぐことにあるのです。