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Ep:3 金融マンとしての経験

当時、北海道拓殖銀行は、都市銀行としてニューヨークやロンドンをはじめ、海外十数カ所に拠点を持っていました。私も、平成元年6月にロサンゼルス支店勤務を命じられ赴任しました。

当時、日本国内はバブル経済に沸き立っていた時代であります。欲に目がくらんだ銀行員が土地投機に走ったことがバブル経済の大きな原因といわれ、バブル経済崩壊後は悪者扱いされたものです。私はといえば、ロサンゼルス赴任前は東京本部の国際企画部というところで、欧州を中心に海外展開を担当していたこともあり、幸い国内のバブル経済にあまり縁がありませんでした。ただロサンゼルス赴任後は、海外支店にいても日本国内のバブル経済の波が、確実に海外まで押し寄せてきているのを感じることがありました。国内の金余りを背景に日本のバブルマネーが海外の不動産にまで手を出していたのです。

画像1拓銀時代、出張先のロンドンにて

アメリカで不動産投資という分野は、50 年代から不動産が学問として体系的に大学で教えられるなど、高度に専門化したプロフェッショナルな領域です。一方、日本では90年代に入ってようやく一部の大学で不動産が学問として教えられ始めたという状況でした。そうしたプロフェッショナルな市場に、不動産が本業ではない食品関係や衣料品関係などの会社が、国内の親会社の保証で融資を受け投資をするのです。案の定、多くの案件が焦げ付ついてしまいました。こうした融資も拓銀のポートフォリオ悪化につながり、
97年の破綻に向けての一端になったのではと考えます。

ロサンゼルスには5年ほど勤務しましたが、滞在後半は非日系投融資担当として、もっぱら既存の返済計画の見直しなど問題債権の管理中心の業務で、ニューヨークなどで開催される協調融資銀行が集まる会議に参加するため米国内を飛び回っていた記憶があります。いずれにしても金融について貴重な経験を積むことができました。