北海道200年戦略の視点 3/3 ~北海道の地域資源をコンテンツ化する~

北海道の地域資源をコンテンツ化する次に「コンテンツ化」とはどういうことでしょうか?コンテンツの語源は内容あるいは目次を意味する英語ですが、『大辞林』では「情報の内容。放送やネットワークで提供される動画・音声・テキストなどの情報の内容をいう」としています。

日本では平成16年に議員立法として「コンテンツ促進法(コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律)」が成立しています。この中で、「『コンテンツ』とは、映画、音楽、演劇、文芸、写真、コミック、アニメーション、コンピュータゲームその他の文字、図形、色彩、音声、動作若
しくは映像若しくはこれらを組み合わせたもの又はこれらに係る情報を電子計算機を介して提供するためのプログラム(電子計算機に対する指令であって、一の結果を得ることができるように組み合わせたものをいう。)であって、人間の創造的活動により生み出されるもののうち、教養又は娯楽の範囲に属するものをいう」としています。

従来は音楽や絵画は芸術、そしてコミック(漫画)や歌謡曲は大衆文化に分けられていましたが、インターネット時代になって、音楽、絵画、コミックや映画など、人が見て聞いて楽しむことができるデジタルデータを総称してコンテンツというようになりました。

そこからさらに時代が進んで現在では、デジタルデータに限らず、生活を豊かにするモノやサービス、体験・経験のすべてを総称してコンテンツと呼ぶようになっています。

つまり、人からコンテンツとして認識されるかどうか、そこに価値を感じているかどうかがコン40テンツであるかそうでないかの境目なのです。

そして、コンテンツ化とは、地域資源を人々にわかりやすい形で発信し、価値を感じたいという人々の感情に訴えかけることです。コンテンツ化するときのポイントは、価値を感じたいと思っている側の視点、すなわち実際に北海道を訪れたり、観光を楽しんだり、道産のモノを購入したりする需要者サイドの視点で見てみることです。

従来の地域振興は、農林業の振興、観光の振興、物産の振興、地域文化の振興と縦割りでした。そこには農林業を管轄する農水省、観光を管轄する国交省・観光庁、物産を管轄する経産省、文化行政を管轄する文科省という中央省庁の存在が前提にあり、農業者、漁業者、観光業者、加工業者といった供給者サイドに立った振興だったのです。北海道200年戦略は、従来の発想を転換し、これらを等しくコンテンツ振興として捉える、需要者サイドに立った振興で北海道の未来を切り拓いていく戦略ということができます。

なぜソフト・パワーを引き出すために、地域資源のコンテンツ化が必要なのでしょうか? ソフト・パワーは、北海道を「訪れる」、北海道のモノを「買う」、北海道に「投資する」等々、その地域の魅力によって「人々に行動を起こさせる力」です。その目線は常に供給者サイドではなく需要者サイドにあり、人々にその地域資源の価値を感じてもらい、行動を起こさせる武器となるのがコンテンツだからです。

北海道の地域資源をコンテンツ化する、すなわち北海道の地域資源の価値を感じてもらえるように仕立て直すことで北海道の地域振興につなげていくのが、北海道200年戦略の根幹ですが、ここで一つ具体例を示しましょう。上川管内東川町の事例です。

平成28年、東川町のまちづくりを紹介した『東川スタイル~人口8000人のまちが共創する未来の価値基準』が産学社から出版されました。東川町を注目する理由として同書は前文で次のように述べています。

画像1玉村雅敏・小島敏明『東川スタイル』産学社

「今回は北海道の真ん中にある人口8000人のまち東川町を取り上げる。「どこにでもありそうな」東川町には、さまざまな気になることがある。東川町は今、北海道内のみならず、国内外からの定住者が増え、約20年で人口が約14%増加している。このまちで暮らす方々には「life(くらし)」のなかに「Work(しごと)」を持つという自然なライフスタイルを大切にしている方が多い。また人口8000人のまちに、60以上の個性的なカフェ、ショップ、工房があり、それぞれの「小さな経済」が成り立っている。人びとのライフスタイルと小さな経済が連鎖し、まちを活性化させる豊かな生態系が形成されている」

東川町の人口は12年前の平成18年には7623人でしたが平成29年12月末には8328人にまで増加しています。全国的にも人口減少が著しい北海道の中にあって東川町は人口が伸びている数少ない町なのです。

東川町が全国的に注目されているのは、この人口増加が同町の文化政策によってもたらされたことにあります。

毎年7月、同町では「全国高等学校写真選手権」、今や「写真甲子園」として知られる高校生の写真コンペティションが開かれます。これは全国10ブロックで開催される予選を勝ち抜いた高校生が東川町に集合し、3人1組のチームが4日間かけて東川町の写真を撮ってその出来栄えを競う写真の選手権です。これまでに25回の開催を数え、平成29年の大会には526校の参加がありました。7月25日から行われた本選には予選を勝ち抜いた18校が参加しました。少子化によって高校生年代の人口減が進む中、右肩上がりで参加校数が増えていく大会はほかに例がありません。

平成29年11月には『写真甲子園0・5秒の夏』という映画が制作され、大黒摩季さんの歌う主題歌『latitude43 第2章 北海道200年戦略の視点東川町を舞台として撮影された映画「写真甲子園」のポスター~明日が来るから~』がチャートを賑わせました。

画像1東川町を舞台として撮影された
映画「写真甲子園」のポスター

写真甲子園の成功の秘密は、大雪山の麓に広がる東川町の町全体を写真甲子園の会場として開放したことにあります。参加する生徒たちは前後含め6泊7日、東川町に泊まり込み、与えられたテーマに沿って町内を自由に移動し、思い思いにシャッターを切ります。もちろん住民の理解も欠かせ
ません。写真甲子園の成功の背景には、同町の30年に亘る写真文化への取り組みがありました。

東川町は昭和60年、世界にも類を見ない「写真の町」を次のように宣言しました。

「東川町に住むわたくしたちは、その素晴らしい感動をかたちづくるために四季折々に別世界を創造し、植物や動物たちが息づく、雄大な自然環境と、風光明媚な景観を未来永劫に保ち、先人たちから受け継ぎ、共に培った、美しい風土と、豊かな心をさらに育み、この恵まれた大地に、世界の人々に開かれた町、心のこもった『写真映りのよい』町の創造をめざします」

東川町が宣言した「写真の町」の目指すところは「写真映りのよい町」です。「写真映り」のよい町について、宣言では次のように謳っています。「自然と人、人と文化、人と人、それぞれの出会いの中で感動が生まれます。そのとき、それぞれの迫間に風のようにカメラがあるなら、人は、その出会いを永遠に手中にし、幾多の人々に感動を与え、分かちあうことができるのです。そして、出会いと写真が結実するとき、人間を謳い、自然を讃える感動の物語がはじまり、誰もが、言葉を超越した詩人やコミュニケーションの名手に生まれかわるのです」。すなわち「写真映りのよい町」とは、美しい景観が広がっているだけでなく、『絵になる出会いのあるまち』なのです。

この宣言を実現するため、東川町は昭和60年から「東川町国際写真フェスティバル」を実施して44います。その年に活躍した内外の写真家に贈られる「東川賞」の授賞式を中心に、受賞作家の作品展、シンポジウム、写真家たちと出会う各種パーティー、新人写真家の登竜門である写真インディペンデンス展、写真愛好家によるストリートフォトギャラリー、音楽と写真のコラボレーションなど、多数のイベントが1カ月にわたる大会期間中行われます。写真甲子園はこのような取り組みの延長として平成6年から始められました。東川町という日本の北辺にある小さな農村のイベントが、ここまで全国的なイベントに成長したのも、東川町国際写真フェスティバルで培ったカメラメーカー、有力写真家とのネットワークがあるからです。

東川町で「写真の町」の取り組みが始まった昭和60年は、まさにこれからバブルを迎えようとしていた時代で自治体の財政にもゆとりがありました。多くの町で、まちおこしイベントや観光施設の造成が盛んに進められた時代です。東川町の取り組みもそんな事例の一つでした。しかし、その後のバブル崩壊によって多くのまちおこし事業が財政難を理由に取り止めになる中、平成6年というバブル崩壊後の不況が最も厳しかったときに東川町は「写真甲子園」を立ち上げ、写真の町へとアクセルを踏み込んだのです。財政難の時代にすぐに成果の見えない文化事業に注力したわけですから、住民からは厳しい意見が相次ぎました。この時、東川町で出会った写真家たちが「写真の町」の灯を消してはいけないと立ち上がり、東川町の写真イベントに積極的に協力していったのです。写真甲子園で東川町を訪れた高校生や先生は旭川で宿を取らずに町内の民家にホームステイします。青春の最中の高校生がカメラ片手に町内を駆け巡る熱気は町に活気を与えました。

苦しい時代を乗り越え、住民に「写真映りのよい町」という理念が浸透していくと、町民の庭先ではガーデニングによって花々が咲きほころぶようになり、街区は公園のような美しさを見せるようになりました。アートフルな雰囲気は、おしゃれなカフェやパンやスイーツのお店、ハンドメイドクラフトの工房を呼び込みました。旭川市からは少々遠いものの、こうした雰囲気の中で暮らしたいと東川町に転居する人が増えていったのです。

あらためて東川町の取り組みをまとめると、写真の町づくりを進めるに当たって、大雪山の自然と伸びやかな農村景観にめぐまれた同町のロケーションを「写真映りのよい町」と捉え、この発展強化に力を注ぎ、町の全域を写真家の表現の場として開放したことが特徴として挙げられます。すなわち東川町は町にもともとあった自然や景観といった地域資源を写真によってコンテンツ化したのです。そしてこのコンテンツを楽しむ方法をさまざまに提案し、地域発展に結びつけました。

東川町では「写真」をコンテンツとして地域資源をソフト・パワーに転換し、人口増を実現しました。では北海道において「写真」に当たるものはなんでしょうか。そのことを考えることが、私の北海道200年戦略です。まずは北海道の代表的なコンテンツ=「食」について次回考えてみましょう。