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本を作って、届けることで生まれるネットワーク

昨日、この2年ほど会っていない友人から「最近何をしてるんですか?」と聞かれて「ああ、そうか。あんまり見えてないよね。あんまりそこについて語ってないかもね。」と思い直しました。

最近の僕は、紙に印刷したメディア、電気をオンにしなくても読めるメディア、リアルなブツとして送り届けられるメディアづくりと、それらを届ける流通そのものを作っていくことに取り組んでいます。

具体的には、執筆者として、ブックレットなどを作り続けています。

編集者として「ハナヤ通信」などの印刷物も作り続けています。

そして、ブックレットや通信(ジン)などの印刷物を取り扱ってくれるお店やグループや個人を募って、送り届けるためのチームを作って、そのチームのマネージャーをしています。

執筆家であり、編集者であり、販売や卸しをする事業所の中間管理職をしている、ということです。各種問い合わせへの対応や会計などもしています。

中津にかまえている冨貴工房は、実際のところほとんど「冨貴書房」として、執筆のための書斎、編集のための会議室、製本のための作業場として機能していることが多いです。

2020年以降に始まった「自粛を要請する(自主的に粛々とすることを、他者に要請される)」という不思議なロジックや、今仕掛けられている戦争も、僕がそういうことをしている理由の一端になっているかもしれません。

田畑に立つ、という自給自足のあり方はとても素晴らしく、とても重要なものだと思っています。

と同時に、メディアを自給すること、本や通信といったメディアを自給するだけでなく、それらを送り届ける回路そのものも、自給していくことに意味と、役割を感じています。

都会に暮らすものとして、そこを大事にしたいと思っています。

その理由を語るには、戦争について語ることが避けられないかな、と思い、ちょっとダークな話と思われる方も居るかもしれませんが、書いてみます😁

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第二次世界大戦が終結する頃、戦後の世界をどういう感じにしていくか、何度も話し合いが行われました。

1944年 ブレトンウッズ会議

1945年 ヤルタ会談

は代表的なものですが、調べてみたら、もっともっとたくさん、話し合っています。

もちろんそこに、日本政府は参加していません。

話し合っていたのは、いわゆる戦勝国にくくられる国々です。

「そろそろ戦争も終わりますね。そのあと、どんな感じにしていきましょうか。」ということで、色々なテーマについて話し合っていたんですね。

今の国連体制も、今の世界を取り巻く軍事ネットワークも、監視ネットワークも、元をたどれば「どうやって戦後の世界を作ろうか」という、度重なる国際会議によってデザインのたたき台が作られた、と言えるでしょう。

「石油を買うときはドルで決済してね」

とか

「世界の軍隊に納品する軍事物資のマネジメントは、ざっくりアメリカに任せましょう。そして敗戦国などを下請けにして、安く色々作ってもらいましょう。」

とか

「イギリスのシティ(citi)という都市に集まっていた資本家たちがウォール街に疎開しちゃったんで、今後はそちらのほうで世界の銀行のあり方を決めていきましょう」

とか

「敗戦国達はこういう感じで監視しましょう」

とか。

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イラク戦争に大量に納品されたパソコンは、パナソニックのタフブック。

当時の社長は「このパソコンは弾丸も跳ね返す」と嬉しそうに語っていたそうです。

ちなみに、もちろんですが、日本市場を流通していたタフブックは、たぶん弾丸が貫通するでしょう。

このパソコン、と言ったときの「この」は、「戦地に納品する」という意味です。戦地に納品されるのは、最高品質の、壊れにくい、濡れても、ホコリがかぶっても、大丈夫なヴァージョン。

これをミリタリースペックと言います。

略称「ミルスペック」です。

パソコンだけでなく、例えばソニーのハンディカムのミルスペックverは、トマホークミサイルに搭載されていました。

日本の眼鏡メーカーHOYAのレンズは爆弾の部品として納品されていました。

その他、兵隊が使う日用品は、いわば軍事物資。

戦争が起これば、これらの企業が作るものが、グローバルな流通ネットワークを通じて、大きく動きます。

そして私達は、これらの企業が作る、ミルスペックではない、材料が安上がりで、作りがそれほど緻密ではない(少し壊れやすい)バージョンを買い続けることで、これらの企業の経済活動を支えています。

非常に端的に言えば、どんな企業が作ったものを、どんなマーケットで買うか、という選択によって、戦争に票を投じ続けています。

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こういった経済システムが、1940年代にデザインされ、その後(つまり戦後)、年を追うごとに改良が続けられてきている。

日本経済は、朝鮮戦争のときに、上述のような様々な物資を作って納品する下請け工場のような役割を果たすことで潤いました。

その後も、冷戦構造が崩壊するまでは、主にアメリカやイギリス、多国籍軍、宛に納品する様々な物資を作って送ることで、なんとか経済を回してきた、と言えるでしょう。

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そんな戦争が、今、歴史上最も、世間に嫌われている、と言われています。

民衆が、戦争に飽き飽きしている、とも言えるでしょう。

統計上、戦争や紛争、内戦などによって殺される割合(おそらく、死因が戦争である割合ということでしょう)は、歴史の中で最も少なくなっていると、言われています。

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そうか。

戦争は少しずつ減ってきてるんだね。

僕たちは、少しずつ、戦争になんか付き合ってられないよ、という思いを明らかにしてきているんだね。

そう思ったりはします。

でも同時に、今も戦争に巻き込まれて命を落としている人がいるという事実に、その人数が減っていると言われても、痛む心は変わりません。

1人死のうが、1万人死のうが、心は痛い。

戦争に依存しない経済。

戦争を支えない経済。

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そんなことを思う時、よく連想するのは、ビノーバ・バーベの言葉です。

この言葉が、とても好きです。

私が何派に属しているのか、と人は問う。
私が属しているのは、頭のおかしな人々のコミュニティだ。
私は狂っている。
そして、みんなも狂ってほしいと願っている。

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■ビノーバ・バーベ ( Vinoba Bhave / 1895‐1982)

インドの思想家。社会運動家。インド・マハーラーシュトラ州コラバ地区ガゴダ村(現ライガット地区ガゴダバドラック)生まれ。

マハトマ・ガンディーの第一後継者として、非暴力・不服従運動(サティヤーグラハ)を指導。

サルヴォダヤ(万人の飛躍)思想に基づく社会運動を展開するなか、大土地所有者が自主的に貧困層への土地の贈与を行う土地寄進運動(ブーダーン運動)を推し進めた。

彼はインド中を歩き回り、大金持ちたちが持て余している広大な土地の一部を譲ってもらい、土地を持たない人たち一緒にそこを耕して、作物を作って、食や衣料や教育の自給を促す活動を続けていました。

彼はこうも言っています。

「 すべてのコミュニティにおいて、すべての人が人生を自分の手に取り戻さない限り、自由はありません。
それぞれのコミュニティが生活全般の運営 を自分たちで行い、住民同士の仲たがいを解決し、子どもをどう教育するかを決め、平和と安全 を確保し、物資の流通のための市場を運営する。
そうなれば、人びとの自尊心が回復します。
どのコミュニティでも、ごく普通の人々が公共の仕事を経験しながら、さらに自信を深めるでしょう。」

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田畑での生産や、糸紡ぎなどの加工、そして、流通、マーケットの運営、そして教育を、自分たちの手で行っていく。

そのことによって、ひとりひとりの自尊心や自信が回復する。

そして、自立したコミュニティが作られていく。

そういったことを体験的に理解した上で、語っています。

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僕は彼の影響をとても強く受けていると思います。

最近よく「なんで本を作っているの?」「なんで、紙に印刷することにこだわるの?」「なんで自分たちで出版だけでなく販売もしているの?」と聞かれることがあるのですが、その理由はまさに、上にあるビノーバの言葉のままです。

自分たちの言葉で語ること、

本を作る、というプロセスは、細かく見ると、そこにたくさんの段階、ステップがあります。

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今は自分が書いたブックレットを主に製本していますが、いずれは「本をつくるプロセス」を、コミュニティメンバーに共有しながら、色々な人の本を出版していきたいと思っています。

本を作ったら、取り扱ってくれる人を募って、そこに直接送り届ける。

この行為は、本を作ることと同じか、それ以上に大事なことだと思っています。

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このネットワークは、価値観を共有し、望む未来像を共有する人たちによる毛細血管のようなものだと思っています。

この血管が健全であることが、ネットワーク全体の免疫力を高めていくと思っています。

顔の見える関係の中で、本を作る。

顔が見えない遠くにいる人達に、本を届ける。

act locally , network globally.

network globallyは、think globallyのネクストステップだと思っています。

考えるだけでなく「つながっているね」と想像するだけでなく、私達同士をつなぐ流通網を、リアルに、具体的に、作っていく。

そういうことを、各自が少しずつ、やっていく。

その取り組み同士がつながっていく。

そんな未来をねがってやみません。

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僕は「曆(こよみ)」は一つのメディアだと思うし、

メディアは、何かと何か、誰かと誰かをつなぐ、媒介物だと思います。

僕が書いた「曆のススメ」「曆のススメ 月編」は、曆を通じて太陽や月や地球とつながるだけでなく、地域、文化、風習、暮らし方、それを実践する人たちとの出会いに誘いたい、という思いで作ったものです。

暦のススメ月表紙

この2冊をそれぞれ取り扱ってくれているお店やグループをリストしていたら「ああ、これは、僕が旅をしたら訪ねたいリストであり、僕の知り合いが旅をするなら立ち寄ってほしい場所リストと一緒だな」

と思いました。


自尊心や自信、というより、安心感が生まれました。

「この人になら、この話をしても通じるんじゃないかな」

という気持ちは、とても大きな「心の拠り所」だと思います。

それは、言ってみれば、リアルなSNSじゃないかと思ったりします。

そんな、価値観や思いや望む未来像を分かち合う人たちのつながりを可視化していく、そのようなムーブメントの、一端を担えたらとても嬉しいです。

「曆のススメ」「曆のススメ 月編」それぞれ、最近、色々な理由があって宣伝の声を上げず、ちょっと静かにしていたのですが、これから、この投稿を皮切りに、思っていることを語っていきたいと思っています。

ぜひつながってほしいです。

取り扱い店になってくださる方、引き続き募集しています。

詳しくは以下のサイトをチェックしてみてください。

このフォームから申し込むと、僕がお返事メールをお返しします😁

このフォームの管理も、入金管理や会計も、僕がやっています。

発送作業は、何人かのメンバーとやっています。

自分が書いた本を、どんな人が求めてくれているのか。
その思いを受け取って、その人の元に本を届けていく。

自給自足の現場は、田畑や山や川のみならず、印刷所から一人ひとりの家に本を届けていく一つ一つのネットワークでもあると思っています。

お互いの思いや願いや夢や希望をネットワークしていける、そのための筋力を付けていきたいと思っています。

その流れの中で、ぜひまたお会いしましょう!

お読みいただきどうもありがとうございます。