2023振り返り
2023年は、なんだかめちゃくちゃに長く感じた1年だった。
一昨年、2021年は転職&大阪への引っ越しで大変だった分、昨年2022年は穏やかにやっていた。その反動で2023年は焦りにも似たモチベーションがあり、本業以外にもそこそこフットワーク軽く動けた。プライベートでは大きな変化があり地元へ帰ることも多く、そして本業でも東京と大阪の行ったり来たりでバタバタしていた。
新しい出会いも多く、面白い年だった。と充実していた一方で体調も崩しがちだった。もう若くないんだと、普通に生活できることがどれだけありがたいことなんだと、そう思うことが多かった。反省しなくてはいけない。
ということで今年を振り返ってみる。
春
CCBT Future Ideations Camp vol.1: Import *
1月に入って、さぁ今年はどうしようなどと考えていたときに、誰かがリツイートした情報を発見したのがCCBTだった。できたばかりのその施設のことは知らなかったけれど、講師にGolan LevinやJohn Maedaの名前があるcampを近々やるという告知を見て、英会話必須という言葉に若干躊躇しつつも申し込んだ(以前、YCAMでSFPCをやるというときにも英語の部分で躊躇してしまったことがあったので同じことは繰り返したくなかった)。実際、参加者はほとんどが日本人だったので杞憂ではあった。
参加者は半分程度がIAMASやSFCや筑波の学生で、半分程度が社会人というところ。既に知り合い同士の人も多いみたいで面食らった。地方での学生時代、こういう分野について考えたくてもどこから辿ればいいか検討もつかなかったことを思い出し、羨ましさを含んだ複雑な感覚を覚えた。
自己紹介の時間にも、本業でなくとも皆作品を制作している「作家」「アーティスト」であると宣言している人が多く、これもいい意味で面食らった。
中身に関しては、Boidを身体で体験するGolanさんのUnplugged Computing ワークショップは衝撃だった。ハッカソンからの講評や、徹夜で展示を自分達で組み上げる流れも久々の感覚だった(宿泊していた9hoursのコワーキングスペースでずっと慣れないPureDataを書いていたのも良かった)。
Webと広告制作の業界から一旦離れてしまったこともあってか、短期間で、こう職種職能をごちゃ混ぜにしてものをつくる時間は貴重だなと思い耽ったりした。やはりデザイナーや音楽家とものづくりをするのは楽しい。
少し燻っていたから、年初にこのcampに参加して同世代や年下の作家と知り合って刺激を受けられたのは大きな意味があった。
Urban Science Lab
数年前からの繋がりでお手伝いをしている建築都市デザインの研究室の展示があった。場所は京都宇治と静岡沼津。
模型に対してプロジェクションマッピングをするというのが当初の役割だったが、最終的には生CSVデータから何をどうタイムラインの中で伝えるのか、展示空間の中でコンテンツをどう配置するのか等、詳細も全体もメンバーと議論しながら進められ、Visualizeについて考える良いきっかけになったし、とても楽しかった。
地味に大変だったのは機材の選定と設置で、ギャラリーではない会場でどうプロジェクションを安定させるか、民生機をどう費用を抑えて準備するか、一人で検討するのは中々に骨が折れた。おそらく実装よりも時間がかかっている。
数週間の展示だったが制作物を囲いながら議論が発展する、というのはとてもプロトタイピング的で、自分としてはこういうものをもっと出していきたいという気持ちにさせられた。
引っ越し
土日に上記の準備をしつつ、空き時間に部屋の片付けをするのが理想だったが、そうもいかず、結局数日の追い込みでなんとかパッキングを済ませて引っ越しをした。市内の引っ越しなので前年の東京〜よりも楽なはずだったのだが、なぜか体感はそうではなかった。
荷物の発送やらで混乱するので、出張と引っ越しはある程度被らない方が得策。当たり前だけど思い知らされた。
前の家はマンションの2階で、三方を寺院に囲まれた場所にあった。窓の外には縁側の植物が見えて心が落ち着いた。その前の東京では築地本願寺の近くで、とても狭い部屋だったけれど、日に数回聞こえる鐘の音が心地よかった。今回住む場所は、そういった場所は周りにはないけれど、町工場が多い場所で、ある意味でより大阪らしい場所なのかもしれない。
物を減らすためにメルカリでばんばん物を売却。
夏
PCD TokyoとProof of X
引っ越し前後から、大阪を離れて仕事で東京に、プライベートの事情で仙台に行くことが増えた。正直大阪に住んでいるという感覚がなく、それもあって、開催場所関係なく、気になるイベントには参加しようという気持ちになっていた。多少無理してでも。
ヒカリエでのProcessing Communityの展示、PCD Tokyo 2023に参加することは前々から決めていたので、近いタイミングで呼びかけがかかっていたProof of Xのボランティアにも参加することにした。ブロックチェーンやNFTについて、頭では大雑把に理解しつつも実感が全く伴っていなかったので、少しでも近くでその熱を感じ取れればと思った。このタイミングで、積読にしてしまっていた『THE NEW CREATOR ECONOMY』を読んだり、CryptoZombiesを進めたりした。
仕事やその他の都合で期間中の数日しか動けなかったが、受付をしながら解説を読んだり合間にアーティストと話をする中で、作品への理解は多少深まった。が、まだまだコンテクストが腹落ちしない感じがあり、勉強不足を感じた。そもそも美術やミームのコンテクストを自分自身あまり俯瞰できていない。
PoXの搬出日がPCD Tokyoの搬入日だった。自分はこの日のために制作したZineを持っていった。
Zine『Parametric Swimming』
PCD Tokyoに向けて、フィルム写真とp5.jsと画像生成AIのMidjourneyを使った冊子を制作した。本格的に始めてからの制作期間は1ヶ月ほど。
写真とスケッチを組み合わせたい、というアイデア自体は数年前からあったものの、どうすれば面白くなるのかが検討もつかなかった。あくまでもイメージのReferenceとして頭にあったのは岡上淑子やKensuke Koikeのようなフォトコラージュだったが、それをp5.jsでやってもな、と手が進まなかった。
そこで出てきたのがInpaintingやOutpaintingなどの生成AI手法だった。考え方としてはそれこそ数年前から、欠落画像の修復だったり、周辺画像の生成などで見聞きして気になっていたが、最近になってDall-E2で簡単にOutpaintingできるようになり絵画の組み合わせで話題になっていたから、何となくAIが使えるんじゃないかと思いはじめていた。
決め手になったのはNovelAIを使ったこのツイートの表現だった。幾何学的な表現とイラストが共存しているのを見て、平均律の作品を思い出したりした。それで東京出張の合間に、カプセルホテルで夜な夜な試していたのが4月の半ばで、そこから本格的につくりはじめた。
PCD Tokyoに置くことができたこともあって、予想以上にたくさんの人に見てもらうことができた。これをきっかけに関西のコミュニティと繋がることもできたので、思い切ってこの冊子をつくれたことは今年に限らずここ数年のハイライトになりそうだ。小さくても作って出すことは大事。
SNACKS Vol.5 展示、自律神経失調
渋谷のPCD Tokyoの展示で、関西のデジタル作家コミュニティ、インスタ部主催のhoehoeさんと知り合いになった。たまたま自分が受付をしている時に作品を搬入されていて、その時にお手伝いしつつ、話が盛り上がった。タイミング。運が良かった。
インスタ部のことは大阪に引っ越してすぐに知っていて、去年も展示を観にいったりしていた。なので次の展示に誘われてとても嬉しかったし、こんな形で繋がれるとは思っていなかったので驚いた。展示は約1ヶ月後だった。
SNACKSは習作展という立ち位置だったこともあり、お言葉に甘えてZineをそのまま出展した。1日在廊して説明をするスタイルだったのと、インタラクティブな作品の中で冊子だけというのも何かなと思い、突貫でiPadで画像をスライドショーにして置いてもおいた。
来場者の多くがものを作っている方で、興味を持って話しかけていただけてありがたかった。出身が近しい後輩や、関西でアートブックを制作されている作家の方に出会うことができたのは思わぬ幸運だった。当然だが、大阪でもこういったものづくりのコミュニティがあって、その中に少しでも入り込めたのが何より嬉しかった。
そんな感じで良い日だったのだけれど、この日の体調はかなり悪かった。数日前から息苦しさを感じていたり、不整脈の兆候があった。かなりの暑さが続いていたのもあったが、直感的に自律神経がやられているのだなと思った。10年以上前にも似たような症状が出たことがあったがその時より酷かった。ということで泣く泣く打ち上げを断る。
思っていたよりも生活環境の変化と、出張と、前年からの土日の制作への偏りとで心身にきていたようだった。ここから数ヶ月、自分の体調がうまくコントロールできない日が続くことになった。心拍が気になりAppleWatchをわざわざレンタルして着けたりもしていたが、あれは逆効果だったのかもしれない。
フジロックとライブ撮影とソニマニ
話は変わって、今年は数年ぶりにフジロックに行った。2019年の土砂降りでキャンプ場が水で流されて苗プリに避難した時以来。土曜に日帰りでいった。日帰りだとヘッドライナーが見れないが、初参加の同行者のこともあるし雰囲気を感じられれば良かったのでそこは妥協。
体調が不完全な中で標高の高い場所なんて大丈夫か、と不安だったが、会場についてしばらくして安定した。思ったよりも苗場は涼しい。念の為アルコールは避けた。
やっぱり野外に漏れるサウンドチェックの音はいいなと思いつつ、優河のライブを観に向かった。Okada Takuroのギターは格別だった。Caroline PolachekのMCやWeyes Bloodとの共演にもらい泣きしそうだった。羊文学の音を聴いてまたファズを踏みたくなった。mei eharaの声は安定の心地よさだった。と、Luis ColeもSlowdiveも観れなかったがそれなりに満足できた。
演奏を観ると演奏したくなる。
その3週間後にはソニマニに行った。が、その前日に友人のライブ撮影をお手伝いした。
動画撮影はほとんど数えるほどしか経験がない。ので不安も大きかったが、もう一人のカメラマンの方の尽力と、手持ちではなく固定でパンズームくらいだったのでなんとか乗り切る。正直これも機材選定に時間をかけてしまったのが反省ポイントだった。しかしこう自分ごとにならないと得られない知識もあるので難しい。あとは長尺で回すと熱々になる問題はどうしようもなく、ステージ前方と後方を行ったり来たりのOn/Offで想像以上に消耗した。その後、当日中に機材を返却する必要があったが、近くのコンビニが軒並み23時Closeだったのは盲点だった。イベント終了後、返却時に23時を超えていたのでかなり歩くことになり疲弊。
気を取り直して、翌日に仕事をこなし、夜にはソニマニ会場へ。
自分でも分かるくらいには強いラインナップだった。都市型のこういうフェスに参加するのは初めてで客層が若いことに驚いた。
Perfumeはたぶん10回くらい観に行っているので今更だけれど、いつも以上にハイテンションで当日の体調には低音が響いた。でもこれでちょっと身体が慣れた。イーロンマスクが出たらしいがGRIMESはスキップ。THUNDERCATはバカテクだった。ストラップがアスカだった。坂本龍一にR.I.P.と言及してカバーをやっていた。日本大好きだな。半分くらい観て、同行者のいる「ずとまよ」へ。和田さんがいるかはわからないが、ELECTRONICOS FANTASTICOSばかりが目についた。ボーカルの顔隠しとカメラワークが神業すぎる。その後、寝不足で眠くなりつつも屋台に並ぶも全く進まない。色々やっているうちにFlyLoが始まった。音がやばい。会場が一気に異空間になった。うおーと思いつつここらで同行者の体力が尽きてくる。半分寝ながら次を待つ。一番観たかったJAMES BLAKEへ。CMYK、1st、Overgrownばかり聴いていたので中盤わからない曲も多かった。それでも生でLimit to your loveの低音どーんを聴けて感無量だった。それが終わると、もう真っ暗演出のAUTECHREを聴き続ける体力は残っておらず、5分だけ観て退散。
結論、内容はめちゃ良いけど眠すぎた。プラチナチケット買っておいて良かった。
秋
尾道と胃腸炎
翌週、ちょっと休もうと思って土日にひとりで尾道に行った。せっかく関西にいるので探索したかったのと、何も考えたくなかったのと、TBSラジオのOver the Sunでmikaさんがおすすめしていたのを聞いたからだった。そして何より海を見たかったからだった。疲れたら海を見に行くと決めている。が、盆は水辺の事故が起きやすいから避ける。なので大体秋になる。
が、尾道の海は想像したものではなかった。水道といって、川と海の中間のようなものだった。肩透かしをくらった。水平線が見たかった。
しかし名所のロープウェイを登った先からみた街と海はよかった。最近できたという新しい展望台も風と空が気持ちよかった。くだりは自分の足で、神社の間を縫いながら戻るのが定番らしい。前の人についていきながら下った。神社では健康を祈願。
街に戻り、水道も悪くないなと思いながら写真を撮りながら歩いた。小津や東京物語の舞台、と紹介されているパネルがいくつもあった。海を見ながらボーッとしている若者がいた。駅前、海を背にギターを弾きながら下手な歌を歌い、部活帰りの中高生の自転車に囲まれている中年の男がいた。スマホを向けられていたがまんざらでもなさそうだった。これでいいと思った。
予約していた宿に戻り、窓から水道を見るも、あまり気持ちが落ち着かなかった。海じゃない、からだろうか。
今思うと、やはり体調がどこかよくなかったのだと思う。
せっかくなので、と宿の近くの店に行った。尾道ラーメン。目に入った牡蠣ラーメンを食べた。普通の醤油らーめんに大きな牡蠣が2つ。きちんと熱が通っているので大丈夫だろう。
帰宅して翌日、胃腸炎になった。他に思い当たる節がないのだが、看護師によると牡蠣ノロだったらもっと酷いとのこと。いや十分酷いです、と思いつつ数日間寝込んだ。
この数週間後にも、急なめまいと吐き気で予定をドタキャンしてしまうことがあった。こんなことは初めてなので自分でも驚きつつ、血液検査をしてもそこまで大きな異常はなかった。改めてストレスや体調管理の大事さ、難しさを思い知った。ストレス解消のための旅行だったのだけれど、想像以上に参っていたらしい。
Sakuragawa Culture Party
9月。7月のSNACKSで知り合いになった小瀬古さんが、桜川でZineのイベントをするということでお誘い頂き出展。他の参加者の作品はまさに Art Book で、どんな形であれ、自分がこういう場にものをおけることにありがたさを感じた。
ArtBookFairというと東京のTABFしかろくに知らなかったので、話の中で出てくる国内外のイベントがどれも興味深かった。この日はUnknown Asiaというアートフェアも梅田で開催されていたようで、その帰りに寄られていた方も多いようだった。勿論Unknown Asiaも知らなかった。
当日は新幹線で地元に戻らなくてはいけなかったため、早々に会場を後にする。少しずつだが関西の知り合いが増えて嬉しい。SCPや、2024から開催されるArt Book Osakaにはこれからも足を運んでみたい。
友人結婚式での演奏
11月にバンド演奏をすることになり、10月からちょくちょくスタジオに入っていた。人前で演奏するのは5年ぶりくらい。録音とライブとでは勝手が違うのでかなり不安だった。ちゃんと弾けばいい演奏になるわけじゃないけれど、ちゃんと弾かないといい演奏にはならない。
ペダルがボロボロになってしまっていたのでいくつか買い直した。MXRのCarbonCopyがアナログ素子がダメになっていたのか、全くDelay音が返ってこない。Tremulatorもガリが酷かった。Reverbも必要だったので、MXRとあわせてStrymonのFLINTを中古で購入。高い。
バンドは何だかんだ大変だし面倒だけど楽しい。クリック音に合わせるのとは全然違う難しさがある。音を鳴らすためにわざわざ集まるだけで嬉しかった。
眠れないほどだった咳風邪もなんとか治って、当日。想像以上にちゃんとしたPAが入っていて雰囲気よく、緊張しながらも悪くない演奏ができたんじゃないかと思う。手汗が酷くて、直前にベビーパウダーを購入して正解だった。
声をかけてくれてありがとう。おめでとう。
冬
HOMEWORKS2023
またもや声を掛けていただいて、Zineと同じトンマナでインスタ部の展示のビジュアルを作ることになった。HOMEWORKSはSNACKSと同じく毎年開催されているグループ展だが、こちらは習作ではなくより本作のものが出展される。
テーマが「あたらしい原風景」だったので、自分なりの創作の原風景を考えて、かつHOMEWOEKSのロゴを組み合わせて数案作成した。写真をベースにしていることもあり、例年のものに比べて少し感傷的なムードが出てしまった気もするが、ポスターのレイアウトでかなりいい雰囲気にまとめていただいた。裏山の秘密基地や、自転車が自分なりの原風景だった。
やってみて思ったのは、少なくとも自分のやり方では生成AIは微調整が難しいということ。それっぽいものは作りやすいが、チマチマと修正を繰り返すことには向かない。フィードバックを組み込むのに苦労した。
展示当日もZineを置かせていただいた。会場は元ホテルの撮影スタジオで、ベッドや個室や小物などの備品が作品に活かされているものもあって面白い空間になっていた。19ほどの作品があり、技術に偏らず、感性を刺激してくるものが多かったのが印象的だった。
自分も来年は何か出品できるように制作を進めたい。
京都での拠点と、平日東京生活
前年に引き続き、仕事場を試行錯誤する1年だった。基本的には家にいるが、いくらでも作業できてしまう分メリハリが出ない。
行けば誰かがいるオフィスに「敢えて」行かないという選択をしている状態と、そもそも出社場所がない状態とでは、精神的に大きな違いがある。毎日「ここ」しかない、仕事もプライベートも「ここ」しかない、というのはキツいものがある。大阪に越して来てからそれを実感した。
ということで市内のコワーキングスペースをたまに利用しているが、あるとき京都に行くとほどほどに捗ることに気づいた。余裕があるときしかできないけれど、京阪に揺られているうちに気持ちが切り替わる。それと京都の空気が好きだ。
そんなことを話していたら、ひょんな繋がりから京都での仕事場をいくつか見つけることができ、10月から通っている。本当にありがたい話。これからどんどん利用していきたい。
と言いつつ、不定期で東京にも行くことが多いのが難しいところ。2024年もどうなるか読めない。たとえば11月の中旬〜12月いっぱいは、平日はずっと東京で土日は大阪という生活だった。
まとめる
いろいろ変わった1年
前年と比べると変化の年だった。
制作(といっても個人としてはZineくらいしか出せなかったけれど)からの流れでコミュニティがかなり広がった。数珠繋ぎに人から人へと繋がっていく、過去の興味と行動の点が今に繋がっていく実感があった。
その中で、ああこういうものか、と思うことも無いことはなかったけれど、行動の中でそういった憧れや幻想の類を潰していくことが大事だと感じた。
プライベートでも大きな変化ばかりだった。春先の引っ越しで一人暮らしが終了し、自分だけの暮らしではなくなった。行動の優先順位や生活習慣が当然ながら変化した。
数えてみると、東京にはざっくり96日程度いた。東京以外も含めると、4割程度は大阪を離れていた。行動範囲が広がったが、長距離移動が日常になってしまった。
こういう変化があったので、どこかで体調を崩すのは必然だったのかもしれない。下半期は健康を意識した生活をしていた。意識を自分に向けすぎていたとも思う。もっと意識を外に向けていきたい。
本業とこれから
と、そんな1年だった。
本業のことは書けないことばかりなので書かなかったが、相変わらずXRを中心に開発に携わっている。さらに2023年は音そのものについて考えることが増えた。面白いことが進んでいるので着実に大胆にやっていく。
全般、自分が何を中心にやっているのか、説明するのが難しい。でも真面目にやっているつもりだ。少しずつ輪郭をはっきりさせていきたい。頭でっかちになりがちなので、行動を先に立てて、それなりに楽しくやっていこう。
2023年も、関わってくれた皆様、ありがとうございました。