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奇跡の朝

今日は朝、びっくりするほど爽快な気分で起き上がった。

目覚めたら、燦々と太陽光が窓から降り注いできて、生い茂る緑に反射している。

その風景を目にした途端、心がときめいた。

「今日はとっても良いお天気」と、窓を開けた瞬間、笑顔になって、心の奥からふつふつと喜びが溢れてきた。

お天気に気分が左右されるのは、人間だから当たり前のことだと思う。
そして、この仕組みはとてもシンプルだ。

しかし、私の場合は、もっともっと重要なことがある。
人生の中で、最難関とも言える乗り越えるべきハードルがあった。

それは、「朝起きられない」という病だ。

一日のスタートである朝を、ダークが渦巻く感情とともに始める。
これは言いようのない苦しみで、昔からずっと苦しみ続けてきた。

この気持ちを言葉で伝えることはできても、体の感覚までは共有できないから、伝えるのがとても難しいと思う。

そんな私だからこそ、「朝スッキリと起きれる」ことはそれ自体が奇跡で、決して大袈裟なんかじゃなく、スッキリとまではいかなくとも、フツーに起きれるようになることが、長年の「夢」だった。

中には、なぜ、そんな誰でもできることに夢を見るのだろう?

と嘲笑する人もいるだろう。

けれどもそれは私にとってとても難しいことで、一生叶わないかもしれないと思うからこそ「夢」になっていたんだろうな。

朝起きれないのは「根性なし」とか、「やる気がない」とも散々言われてきたな。

でも、そういうことじゃないのよ、

ってずっと思ってきた。

そんな安っぽい言葉で片付けて欲しくない、と思ってきた。


本気の本気で体調が悪くて、この上なくダークな気分で朝をスタートさせる、やっとの思いで起きることが、どれほど酷であることか。

これが、なかなかわかってもらえない。
というか、普通にわかってくれる人はいない。
ある意味、孤独。

どれだけ言葉で訴えても、今、この体で起こっているリアルな感覚を共有することはできないのだから。

結局、「ああ、この辛さは一生誰とも分かち合えないのかもしれない」と、感覚を共有できない苦しみに立ち会うたびに、そう思ってきた。


でも、その朝起きれない「どうしようもない苦しみ」、体の重だるさ、精神の憂鬱が、今、少しずつクリアになっている感覚がある!

そういう日々の変化の中で、やってきた今日の爽快な気分。

この感動!ほんとにほんとに、すごい!!!

本当に、朝を克服したら、人生が変わっちゃうのかもしれない!!!

もちろん、これからだって朝に苦しむ日はあると思う。

でも、この感覚が続いてくれるといいなと思う。

いいなという願望より、もう元には戻りたくない、というのが正直な気持ち。

そして、つくづく、体の元気って心の元気につながっているなぁと思う。

昔は割と、体を置き去りにしてきて、根性論で乗り越えようとしてきたけれど、体に意識を向け、自分の体を大事にケアしていくようになったら、心までも元気になってきた。

体って本当に大事。

健全な精神は健全な肉体に宿る

って、昔から言い尽くされてきた言葉だけれど、本当だった!!!

精神の状態が肉体に出る

とも言うけれど、

私はどちらかというと、肉体が先、という感覚のほうがしっくりくる。

もちろん個人差はあると思うけれど、これは自分の体の感覚からして、そう思う。

これからも日々、体と向き合って、朝スッキリ起きれるのが当たり前の自分になりたい。

最近、少しずつ変わってきた感覚はあったけれど、今日はわかりやすい手応えが感じられた、これから先の良い変化の大事な布石になった目覚めだったように思う。

今日の日を忘れない。

日々の変化は、少しずつかもしれないけれど、地道に着実に積み重ねた分、必ずいつか応えてくれるはず。


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