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”してもらう側”と”してあげる側”との間にできる優劣を作りたくない ~イントロ~

あの星のようになりたいのです。

みんなが暗い時ほど輝いて、
自分が何処にいるか分からない不安をかき消すための灯りを、
一人ぼっちじゃないことを諭すための温もりを、
闇の中にも光を見出すための希望を、
無限大に在る世界を歩き通そうとするための勇気を、
あなたの視野に入らない場所からそっと注いでいるような。

そんな星になりたいのです。

Takaesu Naoki noteマガジン「過去ログ」より

まずは「雨、そして”親切”は難しい」に続いて、”親切ってなんだろう”という話です。

僕が大学生の時に見たものなのでだいぶ古い動画ですが、紹介したいと思います。
やっぱり僕はこういうさり気ない親切に「かっちょいい!」と思ってしまうのです。

この兄ちゃん、かっこよくないですか?

僕の勝手な妄想なのですが、
その後いじめられていた少年が兄ちゃんに「助けてくれてありがとう」ってお礼を言ったならば、この兄ちゃんは「別にお前のためじゃねーよ。ただ気分的に赤に染めたかっただけだし」、なんてぶっきらぼうに答えるのです。

少年は兄ちゃんに感謝の気持ちがいっぱいでしょう。
だけど「僕のために髪を赤くした」ってなると、悪いな~、とか気を使ってしまうかもしれません。
申し訳ない、って程ではないけど気を使っちゃうかもしれません。

そう思わせないためのさりげなさ!
それで、”助けた人と”助けられた人”という優劣はなくなるのです!

こんなふうに、親切や支援なんかを見返りを求めず、ただやりたいからやっているだけの人に僕はカッコイイと感じるのだと思います。
それはピュアな気持ち発信の行動だから。


「”してもらう側”と”してあげる側”との間にできる優劣を作りたくない ~カンボジア編~」につづく…

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