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旅人だけが得られる特別な感覚とは

旅人にだけにしか分かり得ない特別な感覚がある。
どんだけ言葉で説明しても、それは感覚的なものだから。
実感としては旅に出た者にしか分からない。

それは、世界に”出る”ではなく、世界に”いる”という感覚であり、
それは、地球の大きさはなんとなくこのくらいという感覚であり、
それは、僕らは地球に住んでいるという感覚である。

旅をして、国境をまたぎ、あらゆる地域の人と出会い、異文化に触れていく。
こうして移動を繰り返していくと、やがて”日本”と”それ以外の国”という概念はなくなり、日本も世界を構成しているひとつの国にしか過ぎない、ということを知る。

僕は長期の旅をするとき、なるべく陸路を行くようにしている。
主に長距離バスを乗り継いだり、電車を使う。
次の目的地に一足飛びに瞬間移動するのではなく、途中の景色をちゃんと見届け、目的地までを点つなぎのように繋いでいくのだ。
そうして旅をすることで、町と町が断絶することなく、出発地との関連性を引っ提げて次の土地と向き合えるようになる。

「俺は世界に出ていろんなものを見てくるんだ!」と意気込んでみても、実はそこにあるのは、日本と同じようにその土地の日常があるだけ。
”世界”が急に身近なものになり、”世界”が特別なモノではないということを知ってくる。
僕が過ごしている日常と同じような顔をして、”世界”は無数に存在しているのだ。
そして、”世界”はここだけではない、という実感は閉塞感を溶かし、それだけ余裕をもって日常と向き合える
旅人が持つ達観した余裕だ。

旅を終え、故郷に帰るときも、次の目的地に向かう感覚。
旅の途中の感覚。


アラスカの写真家星野道夫さんは著書の「旅をする木」のこんなひと場面がある。
それは東京で忙しく働いている友人がなんとか休暇を取りアラスカを訪ねたときの話しだ。
彼女は、小さな船の上からクジラが水面から宙に舞い上がり、海を爆発させて降り立っていくという壮大な光景を見た。
そして東京に帰って、アラスカでの旅を振返ってこう言った。

「東京での仕事は忙しかったけれど、本当に行って良かった。何か良かったかって?私が東京であわただしく働いているとき、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと」

続いて星野さんはこう綴っている。

ぼくたちが、毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。

僕も今こうしてあくせく働いているこの時に、
ベトナムで漁をしているあの男たちを知っているし、
ラオスでアルミを使ってアクセサリーを作る家族がいることを知っているし、
ブルースに酔いしれながらシャウトしているおっちゃんも知っている。

決して家と会社の往復だけに世界は存在しているわけではない。
僕はいつだって新しく僕の居場所を作ることができるのだ。

世界は広く身近だ、ありがたいほどに。
そんな感覚を共有しながら、旅人と一緒にお酒を飲み交わしたい今日この頃。

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