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おっさんになりたくない!という中年ブリッコ/中年・大人の階段登る途中の踊り場でワルツを踊るしかない/『花束みたいな恋をした』で見つけた「サブカルを辞める」という事

38になっちまっただ!!!!!
オガアアアアアチャーーーーン!!!!!

なんて、半年以上前の話なんですが。。。(8月生まれ)
相変わらず、実年齢と精神年齢の乖離がひどくて、人生迷い中なワタクシです。
もう、歳を重ねる度に外堀からおっさんという称号が埋まっていってる状態で、おっさんという物的証拠だけが積み重なって、Q.E.D直前ですよね。この状況でお前、おっさんじゃなかったら、じゃあ、お前は何なんだ?みたいな。
例えば、服装一つとっても変わり目というのは如実にやってきていて、
Tシャツとかトレーナー一丁で外に出歩くと、それだけでみすぼらしいおっさんの出来上がりである。よって、どうしても我がワードローブには襟付きの服だとかが増えたし、ルーズなパンツなども憚られる見た目になって来てしまったのだ。
でも、おっさんに成りたくないないヨォォォォォォォォ〜!!という悪あがきを日々営んでいるのです。

大人の階段を登る所を、必死に地団駄踏みつつ逆走したい!という気持ちとは裏腹に、大人の階段っちゅうのはエスカレーターの様に自動的に上にグイグイ上がっていく。気づいたら周りの景色も変わっている。
自分が年老いて老人になる所は子供の頃から何となくイメージできたのだが、人生はジジイになる前に、果てしなく長いオッサン期間をくぐり抜けなければならないのだ。
せめて、その大人の階段登る途中の踊り場で、地団駄気味のダンスを踊って、階段を登らない様にしないと!!なるべくなら、死ぬまで!!そんな心境の今日この頃です。

とゆう見苦しいおっさんブリッコをしている最中ですが、そんな自分の気持ちにマッチングする映画を見てしまいまして。
『花束みたいな恋をした』です。

坂本裕二脚本で、菅田将暉・有村架純主演!!ゴリッゴリの売れ線ド真ん中、ド直球のラブストーリーだ!!(予告を見る限りは)
いつも私が通っている灰色のシケた映画館とは客層が明らかに違ってて、平日の昼間(しかも緊急事態宣言中のオマケつき)にも関わらず、うら若き乙女やうら若きカップルで劇場は埋め尽くされてて、そういったうら若さに両端を挟まれながらの鑑賞となった。

そもそも、何でこの作品を見ようと思ったかと言うと、
twitterで私がフォローしてるカルチャーおじさん達の悲鳴に近い感想を見ていたからだ。
皆、一様にうわぎゃあああああああ〜!と雄叫びを上げながら自分語りに終始していて、そんな刺さる内容なのか、、、と、気になって見に行ったら、噂通りにスゲかった、、、
見てる中で、何度も「ほぎゃあああああああ〜!!!!!」と走って逃げた出したくなるくらいに、恥ずかしく、見てらんなくて、身につまされた。
けど、結論としては、最後まで見れて良かった。とも思った。

※以下、ネタバレをしております※

ひょんなとこから出会い、お互いのサブカル趣味がぴったり合致した事によって、晴れて付き合う事になった大学生の麦くん(菅田将暉)と絹ちゃん(有村架純)。お互いにサブカルスポットに行ったり、本の感想を述べ合って読んでる本を交換したりして、イチャイチャしたり、やがて同棲を始めるなどした。やがて、大学卒業〜社会人へと歩みを進めていくに連れ、ドリーム満点だった二人の関係性に変化が訪れ、そして、、、と言うストーリー。

まず、特筆すべきなのは、洪水の様に繰り出されるサブカル固有名詞たち。キノコ帝国、オーサムシティクラブ、天竺鼠、ゼルダの伝説、宝石の国に、押井守!これらはほんの一部だが、劇中はこういったワードが何の気なしに出てくる出てくる。
私は残念ながら世代ではないので、劇中で出てくるワードで刺さる要素はあまり無かったが、それでもこの映画の志はよく分かった。
つまり、現代のサブカル青春ものを描こうという意思を!!!!
ただ、他のカビ臭くイカ臭いサブカルものと比べて面白いのが、話や演出のフォーマットがテレビドラマっぽく、メジャー感がある所。
もっと悪し様に言ってしまうと、あの、売れる邦画特有の甘ったるいセンチメンタリズムみたいな奴が劇中に横溢していて、そこにヤダ味を感じる人は多いかもしれない。(僕もそんな生理的な嫌さは少なからず感じた)
主役二人はサブカル的な嗜好を持つ人間にしては、そう言った人間特有のマイナス面みたいのは都合よく捨象されて、「感じのいいカップル」に収斂されてるのがちょっと引っ掛かった所ではある。

だが、そう言ったモンヤリした要素も無くはないが、そんな些末な事を突き抜ける真実味というか、一つの命題がこの作品では提示されてて、目が離せなくなった。そして、今もこうやってウンウンと考えている。
つまり、何かとゆうと、
「オマエ、いつサブカルを辞めるんだ問題」だ。

またぞろ話が長くなるので詳述は省くが、この映画の構造は単純で、以下の二項対立で話を進める事が出来ると思う。
つまり、
サブカルを辞めた人間、麦くん(菅田将暉)と、
サブカルを続ける人間、絹ちゃん(有村架純)の相剋。
イラストレーターになるのを挫折して、「ちゃんとしなきゃ」とちょっとブラック気味な会社に入ってしまった麦くんは、10秒でブラック会社作法に洗脳されてしまう。そんな彼の横でのほほんとサブカルにうつつを抜かす絹ちゃん。次第に溝が深くなっていく二人。もう、あの頃の様にのほほんと仲睦まじいカップルでいられなくなってしまったのだ。

多摩川沿いのアパートで同棲して(駅から徒歩30分という立地)、神社で捨てネコ拾って、『宝石の国』を二人で同時に読み(そんな奴いるか??)、2人で和気あいあいと多摩川沿いでテイクアウトコーヒー飲みながら帰るような、「絵に描いたような」理想的なサブカルカップル。
ちょっと、ディテールに関しては10も20も、何なら100くらい言いたい事が出てくる様な、浮世離れした設定ではある。所々劇中で挿入される、甘ったるいポエムみたいなモノローグは、正直言ってかなりキツイ。
ただ!!ただ、その実、この劇中で起きてる事は、THE現実なんだよな。。。
イラストレーターを目指す麦くんが1カット千円の仕事を、3カット千円に値切られたり、絹ちゃんが友人のツテで入ったイベント会社がウェイウェイ系なノリで、遊び人風の社長(キャスティングがオダジョーってのがすごい)に色目を使われたり、二人の過ごした時間はどこまでもドリーミンなのに比して、この現実のヤダ味のリアルさよ。
そして、このヤダヤダな現実に二人の時間は洗い流されてしまったのだった。
二人は別れを決意するのだが、その別れをどう選択したのか!?というのがこの映画のキモだった。

この、別れを選択せざるを得ない!と二人がむせび泣くクライマックスは本当に苦い。過ぎ去った過去の煌めき、、、それを眼前に突きつけられて、自分たちは後戻りが出来ない場所まで来てしまったのだ!!!という悔恨の念!!!!ここの場面は、余計な言葉を使わずに描写していて、見事という他なかった。

これは本当にムネに来た・・・特に私の様な中年になれない中年には。
まだワカモノ気分を引きずって現実を見ようとしていない自分にはこのパンチはキツかった。。。

サブカルに限らず、大人になると言う事、中年になると言う事は、何かを辞め、諦め、自分を何かの型に押し込むと言う事だ。
そうする事によって、自分の人生を最適化・効率化して、余計な失敗や不測の事態を回避し、誰かの為、何かの為、もっと大きな目線で言うと、社会の為に自分の存在を押し込める事。それが大人になるって事だ。
理屈では分かっている。俺だって、せっかくこの世に産まれて来たのだから、ひどい目には極力遭いたくないじゃん。そして、他人からバカにもされたくないじゃん。
だから、その為にも大人になりたい、とも思う。

でも、俺には無理だった。。。や、かつての俺にはまだ早かっただけかもしれない。菅田くんみたく、正社員になってみた事もあった。程なく、パワハラモラハラが横溢している職場環境にどーしても馴染めなくて、心神喪失状態になって1年も持たずに辞めた、、、
だから、言い訳させてもらうと、菅田くんはさ、社畜の才能あるよ。
俺にはどうしても出来なかったのだから。好きな事だけにしか真剣になれず、他は完全にナメた目線で見下しているのだから。
逆に、菅田くんはサブカルの才能はなかったのかもね。イラストも片手落ちですぐに諦めてしまったからね。食えなくても趣味で続けていく事は十分出来ていた筈なのに、完全にブラック企業の論理に毒されてたもんね!

なんてさ、そんな過ぎ去ってしまった自分の人生、サブカルと実生活の相克とか、そんな事をどうしても思い出してしまって、私も前述したカルチャーおじさん達の悲鳴に混ざっていきたいと思います。

うぎゃああああああああああああああ〜〜〜〜〜!!!!!!


※余談
同じ坂本裕二脚本のドラマで、『カルテット』見てみたが、
こっちは『花束〜」で感じたヤダ味が全開で、とてもとてもモンヤリした。
浮世離れのジェットコースターって感じだった。
リアルタイムでテレビで1週間毎に見るならまだ面白かったかもだけど、一気見したら、違和感がヤバかった。
それでも途中で鑑賞をストップさせないだけのパワーは会って、それはそれで面白かったのかもしれない。

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