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紹介

幼馴染みからの電話

看板の取り付け作業が終わり、作業用の工具箱を手に車に戻ると、ダッシュボードの上の携帯がカタカタと音を立てフロントガラス沿いに移動していた。手に取り液晶を見ると、幼馴染みの秋子からの電話だった。

「もしもし秋子」
「翔太、今大丈夫?」
「大丈夫、丁度、今仕事終わったところだよ」
工具箱を地面に置く。
「ホント。……。あのさ~、例のT川君の件だけどさ……」
「あ~。OK。今日はもう帰るから、ええと、じゃあ、喫茶店シカゴで待っててよ」
「分かった。何分くらい」
「ええとね。30分から45分後くらいかな」
「うん、じゃあお願いね」

看板の固定に使った工具箱を軽バンの後部座席に置くと、汗だくな背広姿の先方担当者に挨拶をし、現場を後にした。


渋滞と秋子の用件。

国道はいつも通りの渋滞だ。地方都市にありがちな景色と言えばそれまでだが、平日の夕方に国道線の車が流れているのを、ここ最近見た事が無い。

国道を少し上った先にあるY市の工場群が相次いで徹底してから、交通量が明らかに減った時期があったのだが、跡地がショッピングモールになると、今度は一気に交通量が増えた。

私が暮らす町は、α県西部にある中規模都市のZ市だが最近は衰退都市の代表格のように扱われる事も多い。渋滞は酷くなったが、渋滞の渦中の車達の多くは、Z市を通過するだけで、Z市が目的地の車は殆ど無い。

それにしても、今日はいつも以上に混んでいる。秋子には30分~45分と伝えたが、この感じだと60分は見た方が良いかもしれない。会社に戻り報告に片付けを済ませ出る迄に45分。会社から喫茶店シカゴ迄15分。こんな計算だろうか。

秋子の用件は分かっている。T川君とは私が秋子に紹介した男性だ。既にT川君からは、「結婚前提のお付き合いをお願いしたら断られた」という話を聞いてる。恐らく、その件について、謝罪混じりの報告を受ける事になるんだと思う。

まあ、これも毎度の事だ。


喫茶店シカゴ。

修正した予測通り、会社まで40分掛かってしまった。15分~20分くらい遅れる事をメールで伝えると、「大丈夫、仕事してるから、ゆっくり来て!」という気遣いのメールが返ってきた。

事務所に戻り、専務(私の兄貴)に簡単な報告を済ませると、片付けと着替えを済ませると待ち合わせの喫茶店シカゴへ、メタボ対策にと乗り始めた自転車で向かった。(家族で出掛けたショッピングモールのキッズスペースで、チノパンのお尻が裂けたのをキッカケに、妻の薦めもあり自宅から会社まで自転車で通うようになった)

自転車を飛ばして15分弱、喫茶店シカゴに到着した。

喫茶店と言っても、最近は、ほぼ軽食屋、定食屋と言った方が正確かもしれない。ゴツゴツした石の外観にネオンの看板は「シカゴ」調(?)なのかもしれないが、入口のイーゼルのメニューは、トップから5行だけは自慢の珈琲だが、5行目から下は、しょうが焼き定食、ナポリタン定食、鮭定食、お刺身定食……と並ぶ。

さらに下には、ビール、焼酎、ホッピーに、常連さんの趣味に合わせた、地元とは関係無い日本酒の銘柄が幾つか並んでいる。

喫茶店シカゴが開業した40年前くらいは、新興住宅地として注目を浴びていたものの、当時の広報通りにZ市は発展しなかった。都心へのアクセスの微妙さが影響した上に、その後のバブル崩壊に不景気が重なり、市内や近隣都市の工場が次々と移転。

シカゴのママによれば、今は亡きマスター(旦那さん)がカフェという呼び名がふさわしいオシャレな喫茶店にするつもりだったが、現実に妥協する内に、パブみたいなカフェ、やがて工場が移転すると、近所のお年寄りに優しいご飯も出す軽食屋・定食屋になったそう。

それでも、マスターは最後まで珈琲だけにはこだわっていた。その努力というか抵抗の甲斐もあってか、確かに珈琲は美味しいと思う。

年齢の割に20歳くらい若く見えるママ(現在76歳)といつも通り世間話をし、年齢の割に老けて見える長男(多分40代後半)のゴツゴツした手に案内された先に秋子を発見。

奥の4人掛けのソファー席でノートPCで作業をしていた。

「オス!」
「あ~。」

「翔ちゃん何にする?」というママに、「珈琲お願いします」と告げると、経年劣化で花柄の座面が擦れ切ったソファーに座った。お互いの仕事の話でアイドリングすると、私の切り出しで本題へと移った。


価値観。

「話しって何?」
「あのね。この前紹介してもらった彼だけど――」
秋子は慎重に言葉を選びながら、真剣なお付き合いはお断りした事を説明した。

「あ~、お眼鏡に適いませんでしたか?」
「う~ん。そういう訳では無いけど……、結婚となるとね」

秋子から、「婚活始めたから、誰か良さそうな人がいたら紹介して欲しい」と頼まれたのが3年前。お互い33歳の時だった。
私は、実家の父親が経営するリフォーム会社で販売促進支援の事業を立ち上げ部長になった歳。秋子は、長患いだった母親を看送った歳だった。

彼女は本当に気の毒な人生を送ってきた。

大学在学中に秋子の母親が病気になり、その看病と家事を一身に引き受ける事になってしまったのだ。自由人で実家の事など気にも掛けない2歳年下の弟に、自己管理どころか身の回りの事すらマトモに出来ない異常な父親。

秋子自身は、中央線の国立駅にあるトップクラスの大学に合格するような優秀な奴で、地元でも将来有望と目されていた。だが、母親の病気をキッカケに就職を諦め実家のあるZ市に戻ってきた。

実家に戻って以後、まだ母親が比較的元気だった頃に、夜間の専門学校に通い、イラストレーター、フォトショップ、ドリームウィーバーといったソフト(アプリ)の使い方をマスターし、知り合いのWeb制作会社から仕事を振ってもらい、フリーランスとして歩み始めたのだが、家庭の事情に仕事のスタイルも相まって、出会いという出会いが皆無だった。

「いざ結婚前提のお付き合いとなると踏み切れないの?」
「うん。中々ね……」

もう5人目だ。私以外の紹介も含めると、恐らく10人くらいにはなるのでは。

「ねえ秋子――」
あまりに選り好みする秋子に対し、説教という程の説教では無いが、少しだけ苦言を呈してみた。
だが、彼女は「ごめん」と言って申し訳なさそうに謝るだけだった。

「T川君の何がダメだったの?」
秋子は首を横に振る。
「うーん。良い人なんだけどね……」
「だったらさ、T川君は秋子の事、気に入ってるみたいだったからさ、1度付き合ってみたらどうなの?」
「いや~、ちょっと価値観の違いがさ……」
この前、S君を紹介した時の断り文句も「価値観の違い」だった。

「秋子さ~、価値観がピッタリ合う人なんて居ないって。俺だってそうだよ。妻と価値観が100%合ってるかって言ったら違うよ。でも、ここは!っていう部分は合ってるし、家族の為だったら譲ってもOKって思えるから、一緒に居られるんだよ――」

その後も私は「家族でも、兄弟でも、価値感が一致する事なんて無い」、「一緒に摺り合わせていくものだから」などと、少々熱く語ると、秋子は唇をへの字に結んで俯いてしまった。

「あ~、ごめんごめん。これ俺の意見ね。あくまで俺の意見だからね」
「うん」

無言の時間が続いた。私は珈琲を啜っていた。しばらくして、数度の頷きの後で、秋子の視線が私の視線にかち合った。

「ねえ本当のこと言っていい? そのかわり怒らないで聞いてくれる?」
急な申し出だった。


彼女の事情

「オッ、オウ。いいよ」
秋子の目がスッと鋭くなった。
「あのね言い方は悪いけど、T川君はね、勘違いがキツイし、独り善がりが過ぎるし、気遣いも出来ないし、それに30歳超えてね自己認識すらまともに出来てない人でしょ。もちろん人は良いのよ……。それは凄く分かる。でもね、友達迄だったらの話しよね」
随分な言い様だった。

「まあ、でもさ、それはお互い話し合いながらさ……」
皆まで言う前に秋子は次の言葉を接いだ。
「内は父親がアレだったでしょ」
「あ~」
「私はね母の病気だって、あの人のストレスのせいだと思うの。私が実家に戻って看病せざるを得なかったのだって、父親がアレだったから、ただ看病するだけじゃなくて、あの人から母を守らないといけなかったから」
「うんうん」
「だから、アレっぽい要素が少しでも垣間見えるとね、もう『嫌だ!嫌だ!』ってなっちゃうの。もうウンザリなのよ」
「あ~、そういう事か……」

なるほど納得だった。

確かに秋子の父親は横柄と身勝手と勘違い野郎を足して2を乗じたような問題がある人だった。それも無能でいい加減で、しょっちゅう何かしらのトラブルを起こして会社をクビになってるような人。

まだ秋子の母が生きている時、こんな事があった。


理不尽。

長患いだった秋子の母親が突然倒れた時の話しだ。
今日は体調が良いからと夕飯の準備をしていたのだが、その準備中に突然バタッと倒れた。

風呂掃除の最中だった秋子が駆け寄り介抱をしていると、丁度、父親が帰宅。

秋子が「お父さん、ちょっと病院まで車で送ってくれる」と聞くと、飲み友達に誘われたか何かの理由で、俺は無理だから「タクシーで行け」と言い出し、秋子が「だったら救急車呼ぶよ」と返したら、「バカ! 救急車だと隣近所に迷惑が掛かるから、タクシーで行け」と吐き捨てて、背広姿のまま出掛けてしまったそうなのだ。(もちろん秋子の父親の言う『迷惑』とは『体面が悪い』という意味である)

秋子は免許を持っておらず(その後免許を取得する)、さらに父親から救急車を禁じられ、それでも呼ぼうとすると母親から「あの人は後が面倒だから」と制されてしまった。

当時は我が家が近所だった事もあって、電話で「病院まで送ってもらえないかしら?」と言われ、私が2人を病院まで送っていったのだ。病院に行く途中、秋子の母親は怠そうにしながらも気はしっかりしていたが、いざ病院に到着すると気を失いスグに入院となった。

秋子が「夜も付き添うから荷物を取りに帰りたい」とお願いされ、一旦自宅に送り、再び病院へと送っていった。その帰り道に「明日の朝食の準備があるから、スーパー寄っていい?」と聞かれた時は、心の中で「親父も弟もそのくらい自分でやれよ」と思ったものだ。

翌日、秋子にメールで「何か買ってこうか?」と聞くと、「ありがとう。牛乳とバナナと柑橘系のジュースを買ってきてもらっていい?」と返ってきた。そこで仕事終わりにスーパーに寄り、入院先の病院に持って行った。

病室に着くと、丁度秋子の父親が来ており、「今日着るワイシャツが無かった。お前は何やってるんだ」と病床の母親を怒鳴りつけている最中だった。秋子の母親が不自由そうに上体を起こして、何度も「ごめんなさい」と謝っていた。

秋子の父親は、私の姿を認めると、急に不自然な笑顔に下手な言い訳を並べ、1分もすると「仕事があるから」と言って帰って行った。不自然な笑顔の父親が病室を出ていくと、秋子の母親が秋子に「ごめんね」と何度も謝っていた。

秋子は鋭い目で、「お母さんが一番の犠牲者なんだから謝る必要なんて無いよ」と慰めていたのを覚えている。

こんな理不尽な場面に何度か出くわした事があった。


迂闊。

「そっか、そっか、確かにな~、あの人が父親だとな~」
「翔太なら分かってくれるよね」
何度も頷いた。
「分かった! そしたら賢くて、優しくて、思いやりがある人を探そう。そうなると同世代だと難しいかもな。そういう家庭向きな人は、大概結婚しちゃってるからな」
「うん。ごめんね。我が儘言って」
「いやいやいや。正直言ってくれてありがとう」

迂闊だった。

もっと秋子の境遇を考えるべきだった。そうだった……。家にアレと、身勝手を自由と履き違えたようなアレに似た弟が居たんだった。それも両方とも度を超した勘違い野郎。(幸いアレは1年半前に誰かと再婚して東南アジアへと去って行った)

ある意味、その2人のせいで、彼女は20代~30代前半を棒に振ったのだ。何しろ、あの家で、マトモなのは彼女と彼女の母のみ。その彼女の母が病気で看病が必要な身になってしまったとしたら……。

今まで私は、私が考える「良い人」を紹介していた。でも、発想を変えた方が良い。秋子に見合うだけの人間を、秋子が犠牲にならないで済む相手を探さないと。年下、年上、バツイチも含めて、もう少し広く当たるとしよう。

(了)

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物語内に登場する人物・場所・施設等は全てフィクションです。

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