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14.納得させるだけの理由が必要だった。

幾ら否定慣れしている俺でも、30代超えてからの否定は意味が違う。「御縁が無かった」「内とは合わなかった」というような話ではない。

「対象外になった」という感覚だ。そして、動けば動く程、対象外な場所を知る事になる。「お前が来るところじゃねえんだよボケ、カス、クズ」って場所が増えてゆく。だから、ダメージの意味合いが全然違ってくるのだ。

高山やハイエナコさんに言われ、生活習慣の改善にも取り組んだものの上手くいかない。現状に甘んじる事で気楽な気分で居られたというのはある。だから、現状を悪い状態と認定して、その改善に取り組むとなると、結構な精神力を要する事になる。

何しろ、自分で自分の現状を否定しなければならない。散々、世の中から拒否され続けた上で、自分でも自分を否定する事になるのだから。これが、仕事環境の方が先に良い状況になって、その必要に迫られてという順序であれば、そこまで辛くはないのかもしれない。

朝キッチリ起きる。食事をキッチリ食べる。掃除・洗濯をキッチリする。整理整頓をキッチリする。酒を控える。夜、早めに寝る。どれも、長続きしなかった。そして、その内、「就職が決まってからでいいや」と逃げてしまう。ビックリする程、何も改善しない。

結果、「自分ってやっぱりダメな人間なんだ!」という逃げの確信だけが深まってゆく。最初は、「いやいや違う。俺だってやれば出来るさ」だったが、「もちろん俺はやれば出来るけど、そりゃこんなダメ人間だったら、こうなるのも当たり前だよな」という現状に甘んじる方向へと、自分の内側の言葉が変わってゆく。

こうなっちまうと、もう生活習慣を改善しようなんて気すら起きなくなる。

再度言うが、俺は元々努力出来た人間だった。大学サッカー部時代から結婚する迄は、部活とか会社という制度のお陰でもあるけど、生活習慣だってしっかりしていた。結局、転落人生に突入してから、どんどんダメになっていった。

ズタズタにされるプライドを守る為に、俺がダメになるのは仕方無いって納得できる理由が必要だった。この悪癖さえ無ければ、「今頃俺だって……」。この悪癖のせいで、こうなってるだけで、「俺だってやれば出来るんだよ」という自己防衛の為の屁理屈を必要とした。

反転した希望吊りだ。でも、これが最後の頼みなのよ。もし、真面目に頑張っているのにダメだったら、本気でやったのに失敗したら、努力したのに報われなかったら、もう内面的に逃げ場が無くなってしまう。だから、俺はダメになる必要があった。そうやって若さ故の変なプライドを守ろうとした結果が、こんな自分を作ったのだと思う。


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