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タイのような外見的煌びやかさがないから逆に内面的な煌びやかさのある日本の社寺

 現在日本滞在中のため、無理やりタイトルに「タイ」を混ぜ、エピソードにもタイの話を盛り込みつつ記事を更新している。無理やりではあるけれども、書きながら感じるのは、タイも日本もそれぞれ20年ずつくらい住んでみて体感的にわかってきたことがある。住んでいると見えなくなるものがあって、遠くにいるからこそ見えてくるものもあるということだ。

 タイの寺社はだいたい金色とか黄色をベースにした色合いが多い。ちょっと昔の寺院だとオレンジ色もある。古い寺院の外壁や屋根は緑とオレンジなどを使っていて、なんかセブンイレブンのロゴに見えてくる。

 日本の社寺は基本的には質素な色合いばかりだろう。派手なケースでもせいぜい朱色を使うくらいではないだろうか。多くの神社は木造で、材木の色合いをそのまま見せるというか。タイと比較すると地味ではあるが、それはそれで美しい瞬間がある。

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 今回行ったのは栃木県小山市の「間々田八幡宮」だ。有名ではあるけれども、全国区で人気のあるパワースポットというわけでもない。そんな八幡神社だ。

 歴史が長く、日光東照宮との関係もあるが、全体的には質素な雰囲気の神社だった。ちょうど訪れた時間帯が夕方だったこともあって、美しい姿が見られたので、ボクの中ではいい思い出になっている。

 もしかしたら間々田神社の境内に関してなんとなく見覚えがある人もいるかもしれない。というのは、ここは少なくとも2回ほど映画の撮影に使われたのだとか。かつては「シコふんじゃった」、わりと最近だと「テルマエロマエ2」の撮影地になったらしい。

 両方の映画に共通するのは相撲だ。東京ではあまり見かけないが、北関東だとわりと土俵のある神社が多い気がする。この間々田八幡宮にも土俵がある。

 よく、タイの国技としてムエタイが相撲と比較されるけれども、タイの寺院でムエタイ・ジムなんて見たことがない。ムエタイは民族叙事詩「ラーマキエン」(インドの叙事詩「ラーマーヤナ」を基にした叙事詩)にも出てくるそうで、大昔は寺院で元兵士が出家して教えていたようだ。試合前の舞であるワイクルーは師匠に対する感謝、神への祈りなどの意味合いがあるので、多少神事に関係がなくもないのだろうが、いずれにしてもムエタイはそもそも闘うのために生まれた格闘技が起源だ。

 一方、相撲はもともとは神事なのは明確で、ムエタイとは始まりが違う。日本では横綱誕生時にはニュースになるけれども、タイではチャンピオンになってもマニアしか注目しない(と思う)。国技と聞くと日本人は相撲と比較しやすいが、実際にはムエタイのタイにおける位置づけは相撲とは全然違っていて、文化としての定着度、国民のその認識が違う。

 ちょっと話が変わるが、タイに移住して数年間はテレビなどもなく、ボクは日本と無縁に生活していた。その後商社に入って出張でシンガポールに行った際、現地の日本人クラブに連れていかれたとき、隣についた女性に「アンタ、朝青龍にそっくりだね」と言われた。

 当時、まだ朝青龍が横綱になったばかりのころだったと思う。知らなくて、てっきりアーサー・ショウリューみたいな、中国とか台湾の俳優かなと。対外的にイングリッシュネームを使うでしょう、中国圏の芸能人って。その女性は、モンゴル人で英語語学留学のためにシンガポールに来ている人だった。タイに帰って思い出し検索したときに出てきた朝青龍の顔に衝撃。まあ、似てなくもない・・・。

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 間々田八幡宮は729年~749年に創建されたという。ただ、画像の本殿は江戸時代に火災で焼失してしまった。1800年代初頭のことで、1850年ごろにようやく再建されたそうだ。

 間々田八幡宮は江戸幕府の使いが日光に行く際に立ち寄った神社でもあるという。そのため、この本殿の再建には日光東照宮の職人も携わっているという。美術的な知識はないが、確かに造形は美しい。

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 ちょうど夕方にここに着いた。普段は早朝に神社巡りをするが、今回はたまたま夕方になった。いろいろ周って、というのもあるのだが。地図が誤作動したのかなんなのか、時間がかかった。

 夕方も人がほとんどおらず、境内の社務所もちょうど閉まった夕方5時ごろ。西からの光に本殿が橙色に染まり、美しかった。

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 近年は――いや昔からそうなのかもしれないけれども、多くの寺社が金儲けに走っているような気がしてならない。お守りやお札、それから境内に参拝スポットを数多く設けて収入を得ているような。

 タイの寺院も最近この傾向が強くなっている。ここ数年の間で金儲け主義が著しくなって、悪質とさえ感じる。境内を歩いていると、僧侶が命令口調で布施を要求するし、金額も決めてくることもある。

 護符刺青(サックヤン)の寺院は最たるもので、以前はどんな図柄でさえ気持ちでよかったものの、今は数千バーツ払わないとやってくれない。これまでのタイ人はひとつの図柄に100バーツも払わない。外国人は遠慮もあって500バーツくらいは置いていく。それでも足りないのか、かつては20バーツくらいでもよかった図柄が、今や2000バーツ超だ。もしかしたら外国人価格なのかもしれないが、その設定だっておかしな話だ。

 間々田八幡宮は、訪れた時間帯はすでに社務所が閉まっていたということも関係したかもしれないが、少なくともそういった金儲けの雰囲気がほとんどなくてよかった。もちろん、神社の運営にも金がかかることはわかるが、わからないような施策を練ってほしい。タネのわかる手品を見せられているような気分になるから嫌なのだ。

 だから、その点では間々田八幡宮は落ち着いて見学ができた。境内ですれ違った地元の人もみんな挨拶をしてくれ、感じがよかった。

 スマホのグーグルマップをカーナビ代わりにすると、東京からはおそらく東北自動車道を使うことになる。降り口からここまで結構遠い。また、ボクのケースでは、なぜかよくわからない回り道をさせられた。そのまま直線的に河川を渡ることができるのに、なぜかぐるっと土手を周って元のところに戻されるという意味不明のナビ。近くに着いたら一度マップを確認しておいた方がいいと思う。

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