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タイ人でも知らないレスキュー・ボランティア活動の現場

 タイの救急救命のシーンではボランティアのマンパワーが欠かせない。タイ政府の救急救命ネットワークはまだまだ弱小で、中華系の慈善団体がタイの緊急時における活動の大半を担っている。

 とはいえ、実は救急救命活動の内容はタイ人でさえあまり知らない。今でも救急隊員がけが人や死者の金品を盗むと言われ、嫌っている人も少なくない。ボクが参加し始めた2004年の段階ですでに隊員の素行不良は都市伝説化していて、現場はそういった疑いを拭うために努力してきている。

 ここではそんなレスキューのボランティアチームが負傷者を運ぶ現場に急行したときの流れを紹介したい。死者が出たり、警察が出動するような殺傷事件現場はまた違うので、これはまた別の機会に。ここでは軽い症状のケースにおける病院搬送の流れを見ていきたい。

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 まず、ボランティアは警察署管轄ごとに行動範囲が限られている(これはバンコクの話で、地方はまた違う)。さらに、その管轄の中にある同一チームの中で分担地域を決め、出動しやすいポイントに待機する。交差点の近く、Uターン路の近く、ガソリンスタンドや警察署など様々だが、全方向に出動しやすい場所で待機する。

 この間、隊員たちはお喋りに興じているが、耳は無線機に向かっている。あるいは無線機専門の係を日替わりで置いて、無線を傍受し続ける。無線は報徳堂本部発信のチャンネル、タイ政府の救急隊のチャンネル、報徳堂と協力関係にある地域の通報専門無線、警察無線などだ。これをすべて同時に聞いている。

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 管轄内で事件事故が発生したら、すぐさま動き出す。傷害事件、殺人事件、交通事故、病人などいろいろなケースがある。中にはヘビが出たので回収しに来いというのもある。警察から名指しで来ることもあるし、一般市民の通報を傍受して先回りすることもある。稀にだが、隊員の友人知人から電話で通報が入ることもある。

 場合によっては誤報だったり、待ちきれなくなった被害者が自分でタクシーなどで病院に行ってしまうこともある。要するに、行ってみたらなにもないことも5回に2回以上ある。

 我々は現着したら、まずは本人、あるいは通報者、周辺にいる人に話を聞く。なにが起こったのか、どんな症状なのか。このときに手分けをして、ボス的な人が話を聞き、ほかの隊員は手当の準備に入る。発生現場によっては交通整理も必要だ。このように一連の動きにはチームワークが必要になる。1チームは地元の友人同士で構成されることが多いので、そのあたりは心配いらない。

 ちなみに、近年はボランティアとはいえ、登録する場合に応急手当の講習を修了している証明が必要だ。入隊後も定期的に訓練が行われる。さらに、チームによっては現役の看護婦がいることもある。まあ、これは報徳堂のボランティアが搬送先でその子と知り合い、恋仲になるケースなどで。女性隊員は多くが男性隊員の妻や恋人だが、たまに自ら志願してボランティアに来る人もいる。その場合は職業柄か、看護婦が多い印象だ。

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 20年近く前は手袋なんてしなかったが、今はどんな現場であっても傷病者と接する際には手袋をする。そして、応急手当前には必ず傷病者に話しかけて意識の有無を確認する。この画像の現場は失恋による泥酔、つまり急性アルコール中毒だったはず。

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 意識の有無を確認するのは救急救命のシーンでは鉄則だ。ただ、タイの場合は別の理由もある。それは、社会保険の有無の確認だ。

 タイでは働いていると必ず社会保険に加入する。タイの保険証はプラスチックのカードになっていて、病院指定となっている。指定以外でも受診は可能だが、後日職場を通して社会保険事務所に申請して払ってもらうので、病院では立て替えになる。指定病院なら無償で治療が受けられる。

 そのため、基本的には指定病院に送り届けることになる。だから、意識や気分などを確認しつつ、保険証もチェックする。

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 このケースでは戦勝記念塔のラーチャウィティー病院が指定だった。ここは国立病院で、救急救命センターもある。

 ここが保険証の指定になっている場合は問題ないが、指定病院が遠すぎる、あるいは保険証がないなどのときも、この病院に搬送することが多々ある。私立病院だと高いし、そもそも金がないと受け入れてくれない。保険がなかったり意識がない場合に高いところに勝手に連れていくと支払いで問題になるので、基本、国立病院に搬送する。ラチャダー通り近辺からだと最も近い国立救命センターがここになる。この国立救命センターは医師も看護婦も性格が悪いのだが、ぎゃあぎゃあ文句言いながらも最終的には受け入れてくれるので、ここに運ぶしかない。

 ちなみに、保険の指定病院は国立とは限らない。私立病院もある。そして、保険の有無に関わらず私立病院に搬送すると、冷たい飲みものをくれたり、活動で使用したもの(包帯など)新品で返してもらえる。病院からすれば客を連れてきたようなものだからだろう。一時期、それを狙って、わざと私立病院に運ぶチームがあり、中には金を受け取っていたボランティア隊員もいたらしく、問題になったことがある。

 ちなみに、外国人の傷病者は基本的には私立病院に搬送する。国立では言葉の問題で対応できないから、また外国人なら支払い能力があるだろうという理由から。タイで暮らす場合は万が一のためにちゃんと保険に入っておいた方がよさそうだ。

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 病院に到着したら治療を受けるための手続きを行う。それを待っている間、我々も傷病者の氏名や年齢、住所などを聞き出す。あるいは、IDカードん内容を写す。これは報徳堂の本部に連絡するためだ。

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 無事医師に引き渡したら、医師の指示で搬送ボードを抜き取る。それから、忘れてはいけないのが、病院のノートに誰が誰を搬送したのかを記入することだ。

 これは搬送人数に対して政府なのかどこからか本部に助成金が入る仕組みだかららしい。先の本部への搬送報告、この病院の搬送ノートの内容が合致して初めて助成金が支払われると見られる。随分とアナログな対応だが、そのように運用されているようだ。助成金の正確な金額はわからないが、搬送者ひとりにつき数百バーツだったかな。ボランティアは車も備品も自前なのだが、おいしいところは本部が持っていく。

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 さて、ひと通り仕事が終わってもすぐに病院を出発しない。というのは、先の搬送者情報を本部で無線連絡するためだ。無線は数百人が使っているので、空くまでに時間がかかる。ほかにも報告している人がいると、さらに時間がかかる。

 場合によっては移動してから報告することもあるが、万が一情報に不足があって戻らないといけないことを考慮して、基本は病院で行い、それが終わったら、この現場が終了となる。

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 あとは元の待機場所に戻る。燃料補給、食事に寄ってから戻ることもある。傷病者の搬送は基本的にはこの繰り返しだ。ボランティアはこれらを自腹でやっている。タイ政府は100年も前から救急救命は民間に放り投げっぱなしなのに、偉そうにふんぞり返っているだけだ。それでもボランティアたちは文句も言わず、日々、見知らぬ人たちのために動いているのである。

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